江戸時代の参勤交代は藩財政を圧迫するとあって、諸国大名の悩みのタネ。盛岡藩では参勤交代の制度化直後、二代重直が遅参事件を起こし、厳しく処罰されたいわく付きの制度でもある

▼関連する史料は後世に書かれたものが多く、江戸到着が遅れた理由や処罰の背景など、その経緯には諸説ある。徳川三代家光の下、武家諸法度により幕府支配を強める中で、見せしめとされた側面も指摘される

▼大名が1年おきに江戸と領地を行き来する参勤交代は、旅費に加え江戸での生活費も多額だ。財政力の乏しい藩には重圧。中には旅の途中で持ち金が底を突き、行列を中断して工面に奔走する藩もあったらしい

▼費目の中で大きいのは、ご多分に漏れず人件費だ。参加人数を減らせば、その分の費用は減らせるが、行列の見栄えは悪くなる。そこで重宝されたのが「中間(ちゅうげん)」と呼ばれた臨時雇い。今で言うパートタイマーだ

▼大名行列がみすぼらしくては藩のこけんに関わる。江戸入りなどの要所要所で人を増やし、景気の良さを演出した。先頭で毛やりを振る人寄せのやっこも、小藩では多くがパート。江戸では仲介業者が繁盛した

▼台風被害さなかの内閣改造。昨年は、西日本豪雨のさなかの「赤坂自民亭」。何があっても「参勤」を優先するのが永田町の理屈なら、「年貢」を収めるかいもない。