「命(いのち)」は本来、「いのうち」だったという。「い」は、すなわち「飯(い)」、ご飯を指す。「うち」は今でも「頑張れるうちは働く」などと、よく使われる

▼生きていく、とは「ご飯を食べられるうち」。つまり命とは、いのうちから「う」を省いた言葉だと、日本語の起源を探る本で読んだ。命を保つためには、いかに食が大事か。昔から考えられていたことが分かる

▼それを痛く感じたのが台風被害を受けた千葉県の様子だった。断水で使える水が限られる。停電で冷蔵庫の物は捨てざるを得ない。しかも店には総菜がない。支援物資も届かず、命をつなぐ食に困る姿が見られた

▼停電の影響は食をもたらす側にも及んだ。暑さで牛や豚が死ぬ。酪農家は機械で乳を搾れず、スーパーでは地場の牛乳が品切れになった。一日も早く生産が立ち直り、人々が元の暮らしに戻れるよう祈りたい

▼岩手に目を転じれば、連休は秋の実りを祝うイベントがあった。きのうは敬老会が各地で開かれた。千葉の苦難を思えば喜びも控えめだけれど、豊かな実りと健やかな食がもたらしてくれる長い「命」だろう

▼〈みづからの歳にみづからおどろきて栗まんぢゆうをひとつ食べたり〉小島ゆかり。年を重ねると皆、自分の年齢に驚く。でも、食べられるうちは自分の口で食べる。命をつなぐささやかな幸せがある。