2019.09.12

あしあと(21)戸羽 陸さん(矢巾町)

命を懸けて、市民の日常を守った父を思う戸羽陸さん=盛岡市内丸(撮影データ=127ミリF3・8、400分の1秒)

父の生きた時を思う

 形見の腕時計のねじを巻き、目を閉じる。時を刻む音に耳を傾けると、まぶたの裏に子どもたちを避難させる父の姿が浮かぶ。

 陸前高田市竹駒町出身の岩手医大4年戸羽陸さん(21)=矢巾町藤沢=は、東日本大震災で同市職員だった父久夫さん=当時(39)=を亡くした。

戸羽久夫さんが最期まで着けていた、形見の腕時計(撮影データ=55ミリF3・5、1000分の1秒)

 児童福祉係長だった久夫さんは、地震の後、安全確認のため保育園を回った。同市高田町の高田保育園では、おびえる子どもたちが園庭に集まっていた。

 「もっと上に行け」と避難させ、次の保育園に向かったところで、津波が押し寄せたらしい。同保育園は被災したが、子どもたちは間一髪で助かった。

 「子どもたちが助かったのがせめてもの救い。けれど、逃げてほしかった。生きて帰ってきてほしかった」。4人きょうだいの長男で、当時は竹駒中の1年生だった。避難所で帰りを待ちわびるうちに、希望を絶望に変えていく時間の残酷さを知った。

 子どものころ患ったぜんそくの治療を通じて、医師に憧れていた。震災で駆けつけた災害派遣医療チーム(DMAT)や救護医療班、何より自ら被災しながら診療を続けた県立高田病院職員らの献身的な姿が、夢を明確な目標に変えた。

 大学での学びは日々深まっている。地域枠の奨学生として、卒業後は県内の病院などに9年間勤めることが義務付けられている。

 「どんな医師になりたいのか」と、自問する。何のために働くべきなのか、子どもたちを守って亡くなった父の思いを知りたい-。

 だが時は無情だ。「忘れたくないけれど、だんだん思い出せる姿が減っていく」。あの朝最後に交わした言葉も、覚えていない。

 大船渡高野球部で主戦と4番を務めた久夫さんは、野球を教えてくれる優しい父親で、スポーツ少年団のコーチでもあった。思い出の中の父は、決まって野球を楽しんでいる。そんな毎日が幸せだった。

 かけがえのない父を突然亡くし、初めて気づいた日常の尊さ。人はいつか亡くなるが、その過程によって遺族の痛みは大きく変わる。多くの家族の日常を命がけで守った、父の行動の重さを受け止めている。

 「もう誰も自分と同じ思いをしないよう、患者の人生の最期まで向き合う医師になりたい。そしていつか古里に帰り、父のように地域の人と力を合わせ、医療を通じて幸せな日常をつくっていきたい」と願う。

 久夫さんの腕時計はスイスで修理され、時を刻み続けている。その流れは少しずつ、絶望を希望に変えていく。

 (文・写真、報道部・太田代剛)

賢治の言葉

ミンナニデクノボートヨバレ/ホメラレモセズ/クニモサレズ/サウイフモノニ/ワタシハナリタイ

 雨ニモマケズより抜粋

 
~東日本大震災
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 ◇主な使用資機材▽カメラ マミヤRB67、ニコンF3P▽フィルム ネオパン100アクロス、TRY-X▽フィルム現像液 D-76▽印画紙 フジブロWPFM2▽印画紙現像液 コレクトールE