74年前の8月15日、日本の敗戦が決したその日まで、福島県石川町の中学生180人は地元の石川山に張り付き、岩肌を削っていた。原子爆弾の材料となるウラン鉱石を掘り当てるためだ

▼第2次大戦中、原爆開発の動きは米独両国にとどまらず、日本でも陸軍と海軍でそれぞれに取り組まれていた。石川町の中学生は陸軍に駆り出された。既に陸軍の原爆製造計画は頓挫していた中での勤労奉仕だ

▼もちろん生徒らは知るよしもない。同年4月以降、少量の昼食を挟み朝9時から午後4時までの作業。配給の地下足袋が破れても補給はなく、足が血だらけの子もいた(保阪正康著「日本原爆開発秘録」より)

▼山中で玉音放送を聞いた生徒らは、広島と長崎の惨禍を知らなかったに違いない。一般国民も同様。広島への原爆投下後、国の統制下にあった新聞各紙の第一報は「同市附近に若干の被害を蒙った模様」だった

▼図らずも原爆計画の一端を担わされた福島は、原子力発電所の過酷事故に遭った。発災直後、復興構想会議は提言に「ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ」を「一本の歴史の軸の上に思い浮かべる」と記したものだ

▼前二者とフクシマを同列に扱うことには異論もあるだろう。だが国策の果てと捉えれば確かに共通項も透けてくる。いずれ犠牲を強いられるのは、いつの世も庶民だ。