大槌町は5日、東日本大震災で旧役場庁舎が津波に襲われるなどし、町職員39人が犠牲になった状況や対応をまとめた記録誌を発刊した。職員らの証言により幹部の満足な検討や指示がないまま災害対策本部(災対)を防災手帳のマニュアルにある高台の公民館でなく、旧庁舎前に置いたことが判明。対応の不備が改めて浮き彫りになった。町は悲惨な経験を教訓とし、防災体制強化に役立てる。

 記録誌は「生きる証(あかし)」のタイトルで11章構成、A4判255ページ。同町では震災当日、旧庁舎前に設置された災対や周辺にいた当時の加藤宏暉町長ら職員計28人が、出先にいた11人とともに津波の犠牲になった。町は過去2回、災対設置の経緯を検証したが、住民などから「状況が分かりにくく不十分」との指摘を受けていた。

 町は記録誌作成のため助かった職員ら35人に改めて調査を行い、ほぼ実名で当時の様子を再現した。

 税務会計課に在籍していた職員は、地震後に当時の総務課長=津波で死亡=が「庁舎は倒壊の危険がある。戻るな、出ていろ」と命じたのを覚えていた。

 当時総務課主幹で役場にいた平野公三町長や当時の東梅政昭副町長も建物が崩れる危険を考え、屋外への災対設置は「スムーズな動き」「変だとは思わなかった」と振り返った。

 職員向けの防災手帳によれば、高台の中央公民館に設置すべき状況だったが「(加藤町長と東梅副町長が)災対の場所や運営について言葉を交わすことはなかった。庁舎の倒壊を恐れ、大津波を予測できないまま戸外に災対を構えた」と総括。習慣的に雰囲気で屋外に開設した状況が示唆された。

 記録誌は千部発行。5日から同町末広町のおしゃっちで申し込みを受け付け、郵便振り込み1500円(送料別)で販売する。