珍答弁で周りをはらはらさせる大臣はつい最近もいたが、後藤新平もそうだった。もともと弁が立たない上、大風呂敷ゆえ細部にこだわらない。国会で意味不明な答弁をして、批判をしばしば浴びた

▼逓信大臣の時は、電気事業法案の責任者なのに、逓信省の方針に反する答弁までした。焦る次官に「どちらでもよいではないか」と述べた逸話が残る。それを苦々しく見ていたのが、同じ岩手生まれの原敬だった

▼「後藤は余の見る所にては案外法螺(ほら)のみにて」。電気事業法を巡り、ほら吹きだとばっさり切る。後の日記でも「大言壮語して大政事家を気取るに似ず尻の納(おさま)らぬ男にて、且(か)つ案外小胆」と、後藤には相当厳しい

▼先週の本紙で発見が報じられた原の貴重な写真46枚の中に、後藤と並んで写った1枚がある。共に澄まし顔で前を見ているが、腹の中では隣の男にいろいろな思いがあっただろう。そう考えればおかしくなる

▼何事も緻密に進める原と、気宇壮大な半面大ざっぱな後藤は肌合いが異なった。だが盛岡、水沢と生まれは違っても同じ岩手、そして「賊軍」の反骨心は通じていたらしい。原の日記にもそんなくだりがある

▼晩年の後藤は語る。「原氏と自分は同郷である」「争って政界に害を残すことはできなかった」。性格や信念は違えど、岩手人として共鳴する両雄だった。