先ごろ公開された初代宮内庁長官田島道治による昭和天皇の「拝謁(はいえつ)記」は、敗戦に至る日本の激動期に翻弄される「人間天皇」の戸惑いや苦悩を浮き彫りにする。

 戦勝国による7年間の占領政策の後、1952年5月に開かれた独立回復を祝う式典で、昭和天皇は戦争への後悔と反省を表明したいと願ったが、当時の吉田茂首相の反対に遭ってかなわなかった。歴史に「もしも」はないと言われるが、戦後日本の歩みを左右する一つの分かれ目だったのは確かだろう。

 拝謁記からは、式典の1年以上前から文案を練っていた様子がしのばれる。その過程で、田島も政治への関与を禁じる新憲法下の天皇制の具体像に苦慮していた節がある。

 抽象的表現にとどまる「象徴天皇」の在り方に周囲が極めて神経質になる一方で、昭和天皇は戦前の「君主」の感覚からなかなか脱し切れなかったことが、戸惑いや苦悩の源泉ではなかったか。

 それほどに、拝謁記には開戦の経緯から敗戦、戦争責任や政治への未練、政治家の評価、憲法改正や再軍備への考え方など、各方面で露骨とも言える記述があふれる。

 戦後30年の75年10月、昭和天皇は訪米後に臨んだ日本記者クラブによる初の公式会見で、戦争責任について問われ「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないのでよく分かりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます」と回答。批判を浴びたことがある。

 拝謁記に残るやり取りを知れば、はばかりながら歴史を遠巻きにするようなご発言の背後に渦巻く「象徴」としての複雑な思念に思い至る。以後、この種の問題で昭和天皇が公に語ることはなかった。

 時代は下り戦後70年に当たる2015年8月の全国戦没者追悼式で、上皇さまは「さきの大戦に対する深い反省」に初めて言及。それは平成最後のお言葉まで続き、今年の追悼式で令和の新天皇にも引き継がれたのは、昭和天皇が果たし得なかった天皇家としての「歴史」へのけじめと言えるかもしれない。

 今や戦争を知らない世代が人口の8割を超える。安倍晋三首相は戦後70年談話で「私たちの子や孫、その先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」と表明。13年以降の追悼式で「加害」「反省」という表現を封印している。

 為政者として、あるいは主権を有する国民として、「教訓」を語り継ぐために向き合わなければならない歴史がある。拝謁記は、今を生きるわれわれが次代に負う重い課題を改めて認識させる貴重な資料と言えるだろう。