盛岡市の下の橋たもとの新渡戸緑地入り口に、「新渡戸稲造先生生誕之地」と刻まれた石柱がある。揮毫(きごう)者は田島道治。昭和天皇との詳細な対話資料「拝謁(はいえつ)記」を残した初代宮内庁長官だ

▼新渡戸は旧制一高校長と東京帝大教授を兼務していた頃、定期的に自宅に学生を招き入れ歓談した。田島は新渡戸の教養や人となりに深く傾倒して足繁く通い、押しかけるように新渡戸家の書生になったという

▼石柱には「昭和三十七年九月一日」と記される。新渡戸の生誕100年に当たる1962年に、教え子有志が建立した。一般財団法人新渡戸基金の藤井茂理事長によると、田島は何度か岩手を訪れているらしい

▼それというのも田島にはもう一人、人生の師となる本県出身の人物がいる。水沢生まれの後藤新平だ。田島は、寺内内閣で鉄道院総裁となった後藤の秘書官に抜てきされる。田島を強く推したのは新渡戸だった

▼新渡戸より五つ上の後藤は台湾総督府時代、米国で静養中だった新渡戸を三顧の礼で台湾に迎えた。田島を拝み倒して初代宮内庁長官に迎えた時の首相芦田均は、その後ろに2人の人物の影を感じたことだろう

▼新渡戸は「人が世に生まれた大目的は人のために尽くすことにある」と説いた。現人神(あらひとがみ)から「人間」へ。昭和天皇と苦悩を共にした田島に、新渡戸の心がしのばれる。