2019.08.02

あしあと(19)佐藤 友重さん(大船渡)

目線の高さに飾った(右から)夫幸雄さん、父三男さん、母しの子さんの遺影に囲まれ、今も家族だんらんしているように暮らす佐藤友重さん=大船渡市大船渡町(撮影データ=24ミリF16、60分の1秒(ストロボ使用))

だんらんの風景今も

 さんさんと差し込む日差しと、部屋いっぱいの花。大船渡市大船渡町の佐藤友重(ともえ)さん(65)方の仏間は、居間と仕切りのない二間続き。遺影は目線の高さに飾ってあり、まるで一緒に暮らしているようだ。

 東日本大震災で亡くなった父三男さん=当時(86)=と、1998年に病死した母しの子さん=同(68)=の遺影に、昨年3月に夫幸雄さん=同(69)=の笑顔が加わった。

肌身離さず持ち歩いている、孫琥太郎さんとのツーショット写真と幸雄さんの遺影(撮影データ=50ミリF1・2、60分の1秒)

 「いかにも死んだようで嫌だから、遺影は長押(なげし)に上げないでくれ」と繰り返した幸雄さんの遺志に沿い、家族だんらんしているような明るい仏間にした。昼間は、幸雄さんが毎日楽しみに聞いていたIBCラジオの愉快なトークが流れる。

 幸雄さんは2010年1月、脚立から落ちて頸椎(けいつい)を骨折し、寝たきりになった。1年間の治療とリハビリを経て高台の自宅に戻ったところで、震災が起きた。

 低地に住んでいた三男さんの安否が分からぬまま、家を失った妹や娘の家族が次々と避難してきて9人の共同生活が始まった。当時、在宅避難者への支援は手薄で食べ物にも事欠き、三男さんの捜索と幸雄さんの介護、食料の確保、家業の再開などに家族が力を合わせて立ち向かった。

 6月に三男さんの遺体が見つかり、家族がみなし仮設住宅などに移った後も、友重さんは幸雄さんの介護を続けた。腎不全で亡くなるまで約8年間、デイサービスなどわずかな時を除いて24時間付き添い、床ずれを防ぐため体を動かした。いつでもすぐ病院に連れて行けるよう、寝間着で寝たことは一度もなかった。

 苦労の毎日は、夫婦2人の楽しい日々でもあった。ベッドの脇で、1971年の高校卒業後、上京して働いた国鉄東京駅で出会ったころからの2人の思い出と、家族への思いを語り尽くした。時には大きな車いすに乗せて、幸雄さんが大ファンだった島津亜矢さんのコンサートにも出かけた。

 「亜矢さんがわざわざ車いすのそばにやってきて、夫の顔をさすって励ましてくれた。うれしくて涙があふれて。寝たきりになった後も、いい思い出がたくさんつくれた」と思い出す。

 幸雄さんが亡くなって1年以上たつが、寂しさは変わらない。そんな気持ちをおもんぱかってか、近くに住む孫の琥太郎さん(大船渡中1年)が週に2、3度立ち寄ってくれる。春には琥太郎さんの小学校皆勤を祝い、2人で鹿児島県の屋久島と種子島を旅した。

 花と遺影に囲まれて暮らし、幸雄さんと琥太郎さんの写真を肌身離さず持ち歩きながら、介護中にはできなかった踊りや旅行を少しずつ楽しみ始めている。

 「大変だったけれど、皆が支えてくれた。思いやりの笑顔と感謝の言葉のありがたさを、今度は私が伝えていきたい」とほほ笑む。

(文・写真、報道部・太田代剛)

賢治の言葉

風のなかを自由にあるけるとか、はっきりした声で何時間も話ができるとか、じぶんの兄弟のために何円かを手伝へるとかいふやうなことはできないものから見れば神の業にも均しいものです

 柳原昌悦への手紙より抜粋

 
~東日本大震災
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