玉音放送、虚脱、涙。8月15日の光景は、膨大な書物や映像を通じて今に受け継がれている。その後、日本は何が変わり、何が変わらなかったか

▼長崎で被爆しつつ患者の救護活動を続けた永井隆博士の「長崎の鐘」は、人間精神再生の貴重な記録だ。大混乱と極度の疲労の中、新聞の「終戦の聖断下る」の文字を見て敗戦を知った永井。「日本敗れたり! わっと声をたてて私は泣きだしていた」

▼17日。朝食後、何をする気にもならず、患者を見てほしいという依頼が来ても断った。「国敗れて何の患者ぞや」。だが、むっくり起き直る。「国は敗れた。しかし傷者は生きている」「ここに私の立場をつくる一つの礎石があるのではあるまいか?」

▼一方、変わらぬ生き方も。仏文学者渡辺一夫のエッセー(「敗戦日記」所収)に登場する隣家の男。明朗で丸々太り、15日午前「本土決戦で勝つんさ!」と騒いでいた

▼午後、隣家はひっそり。だが、何日か後に再会した男は、依然として「明朗」だった。その後、渡辺は引っ越したが「再び会いたくもないし、会う必要もない」「(男の)分身が私の周囲にも沢山(たくさん)いるからだ」

▼自国優先主義が台頭し対立が激化する現代世界。日本の針路を考える上で、歴史に学び、受け継ぐべきもの、変えるべきものを見定めたい。礎石が揺らげば流される。