訪問先でコーヒーを出されると、何となく飲み残せない気分になるのは年代的なものだろうか。戦時中は敵国の飲み物とされ、戦後もしばらくぜいたく品だった親世代の影響かもしれない

▼喫茶店の黎明期、語尾を伸ばす日本語の「カフェー」と「カフェ」には明確な区別があったという。喫茶文化をテーマに、少し前まで盛岡市の「啄木・賢治青春館」で開かれていたパネル企画展で初めて知った

▼「カフェ」はコーヒーの味そのものを売り物にする店。一方の「カフェー」は、女性の接客サービスで売る風俗店を指したらしい。もっとも今「カフェー」を店名に冠していても、そんな意図とは別物だろうが

▼「カフェ」も「カフェー」も文人を多く集め、小説の舞台ともなった。啄木や賢治も、そんな時代の息吹に感化されたことだろう。盛岡市内は古くからある喫茶店が少なくない。文化は歴史の積み重ねでもある

▼参院選の街頭演説で、一時「りっけん」を「みんしゅ」と言い間違えた首相には、往時の「カフェ」と「カフェー」の違いほどの認識もあるまい。「そんなに怒るなら同じ党名で頑張れ」と野党の反発をいなす

▼そういえば小泉政権後、1年ごとに首相が代わって名前を言い間違えたっけ-と少し昔を思い出しつつ、コーヒー片手に「せんきょ」の「せんきょう」が気になる頃。