2019.06.07

あしあと(15)浜守 博さん(大船渡)

海風と波の輝きが力をくれる。「まだまだ頑張って生きる」と誓う浜守博さん=大船渡市末崎町(撮影データ=81・2ミリF2・8、125分の1秒)

人生全う、譲れぬ思い

 1カ月ほど前から、1人で暮らしている。妻の芳子さん(84)が転んで股関節を骨折し、入院して手術を受けた。退院後は寝たきりになる。大船渡市末崎町の漁業浜守博さん(87)は、2人の寝床が並ぶ部屋でせっせと介護の準備を進める。

 芳子さんは以前から体調が優れず、最近は博さんが家事をしていた。部屋は整頓されてほこり一つなく、庭では海風に洗濯物がたなびく。にぎやかな7人家族だったころと変わらぬ、きちんとした暮らしを続けている。

芳子さんの介護の準備を進める浜守博さん。ベッドを並べ、一緒に漁に出ていた頃のように寄り添う(撮影データ=24ミリF5・6、60分の1秒)

 毎朝軽トラックで病院へ通い、芳子さんの手を握る。昔は自慢の博洋丸(3トン)で沖に出て、2人で刺し網漁やタコかご漁にいそしんでいた。「長いこと海で一緒に頑張ってくれたから」と寄り添い続ける。

 東日本大震災で一人娘の栄子さん=当時(49)=を失った。栄子さんは体があまり強くなかったが、1男2女を授かり、パッチワークで子どもたちの服を手作りするなど深い愛情を注いでいた。家族を大切にし、家事も一生懸命だった。

 家計を助けるためパートに出ていたドラッグストアで地震に遭い、客を誘導して避難させた後、自らは逃げ遅れて津波にのまれた。はにかんだような笑顔がすてきな女性だった。

 栄子さんが残した孫たちは、順番に自立した。今もしょっちゅう顔を見せに来てくれる、優しい大人に育ってくれた。

 震災から8年3カ月になる今も、栄子さんのことを思い出す。立派に育っていく孫やひ孫たちの姿を見せてやりたかったが、それはかなわない。

 代わりに自分ができる限り見守り続け、最後は「一番下の孫娘もあまり丈夫じゃないから、周りの人たちに『やんべに(いい具合に)してやってよ』と頼んで死にたい」と打ち明ける。

 だから一日でも長く、毎日をきちんと生きようとしている。震災後は新たな博洋丸(0・3トン)でウニやアワビ、ヒジキなどの漁に出ていたが、米寿を前に浜の仕事はきつくなった。昨年の水揚げ高は3万円ほど。

 海も急激に磯焼けが進み、海底が真っ白になってしまった。更新が迫る船舶免許証を見つめ「もう潮時かな」と引退を考える。

 だが、たとえ海を離れても、家のそばに畑がある。わずか10アールだが、芳子さんと2人で食べる野菜を育てていける。

 「私も年だから、仕事も介護も大変だと思います。でも、まだまだ頑張って生きたいのです。この先、夫婦そろって病院通いが仕事になったとしても、残りの人生をしっかり生きたいのです」

 娘の無念を知る親の、譲れない決意を示す。

(文・写真、報道部・太田代剛)

賢治の言葉

雪袴黒くうがちし うなゐの子瓜食みくれば/風澄めるよもの山はに うづまくや秋のしらくも/その身こそ瓜も欲りせん 齢(とし)弱(わか)き母にしあれば/手すさびに紅き萱穂を つみつどへ野をよぎるなれ

 文語詩稿より「母」

 
~東日本大震災
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