2019.06.14

あしあと(16)鶴島 道子さん(愛知・知多)

愛犬ハナと散歩する鶴島道子さん。都会の暮らしに慣れても、古里を忘れない=愛知県知多市(撮影データ=200ミリF4、500分の1秒)

遠い古里いとおしむ

 玄関の鍵は掛けなかった。警察に怒られそうだが、それが当たり前だった。引き戸を開けて「いる?」と声を掛け、いればそのまま茶飲み話が始まる。不在ならおかずや野菜、魚などのお裾分けを置いていく。その後スーパーに立ち寄ると留守だった人がいたりして、結局立ち話に花が咲く。皆が顔見知りで、気立ての良い人が多いまちだった。

 陸前高田市高田町で被災した介護福祉士鶴島道子さん(64)は愛知県知多市に避難し、今も暮らしている。震災で、制服などを扱う衣料品店ダイヤスとラーメン店の鶴しまを経営していた夫清さん=当時(57)=のほか、大勢の親類や知り合いを亡くした。

自宅には清さんら家族の思い出が詰まった写真が並ぶ(撮影データ=55ミリF3・5、60分の1秒、ストロボ使用)

 今の住まいは名古屋駅から電車で20分ほどの住宅地。玄関は皆施錠され、呼び鈴が鳴っても相手が何者か分かるまでドアを開けない。電話がきても自分からは名乗らない。都会では当たり前の暮らしだ。

 「同じ日本なのに、どうしてこんなに違うのか。どんどん遠くなっていく」と古里をいとおしむ。

 清さんとは仙台市の東北学院大で出会い、結婚した。根っからの働き者で、午前7時にダイヤスへ出勤し、閉店後ほんの少し休んで午後8時から鶴しまの厨房(ちゅうぼう)に立った。睡眠時間は毎日3、4時間ほどだったが、自分の味にこだわり、とろけるチャーシューと煮干しのだしが人気だった。

 震災の日は、入試を終えた中学3年生が高校の制服を合わせに来る予定だった。清さんは従業員らを避難させた後、「生徒たちが来るかもしれない」と店に戻ったらしい。仕事が大好きだったから「逃げずに働いているのでは」という悪い予感が当たった。

 安置所を回ると、近所の人たちが大勢眠っていた。陸前高田市給食センターで行方不明者届け出の受付係をしていると、親しかった人たちがすがるような表情で次々とやってきた。絶望の日々だった。

 清さんの遺体は花巻市石鳥谷町で火葬することになったが、車には遺体のほかに1人しか乗れなかった。喪服もなく、市職員の制服で一人ぽつんと遺骨を拾っていると「あんなに働いて、いつもにこにこ話を聞き、みんなに好かれていたのに」と悔しさがこみ上げた。

 避難所では難病を抱える父の薬がなく、双子の妹らを頼り、2011年4月に両親と知多市へ避難。その後父をみとり、在宅で介護していた母も症状が進行して施設に入ったため、今は1人で暮らしている。

 古里にはほとんど身寄りがなくなり、戻ることは諦めた。愛知県で知り合った仲間と共に、被災地の支援活動を続けている。

 高田松原をはるかに超えて真っ黒い津波が押し寄せる中、一緒に逃げた愛犬ハナと散歩していると、今も懐かしい陸前高田の街並みを思い出す。

(文・写真、報道部・太田代剛)

賢治の言葉

罪や、かなしみでさへそこでは聖(きよ)くきれいにかゞやいてゐる。

 「注文の多い料理店」の広告文から、イーハトーブの説明を抜粋

 
~東日本大震災
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