1896(明治29)年6月15日に発生し、約2万2千人が死亡した明治三陸津波で、鍬ケ崎町(現・宮古市鍬ケ崎地区)の被災状況を撮影した写真19枚が、宮内庁に所蔵されていることが12日までに、共同通信の調べで分かった。

 明治三陸津波は、東日本大震災の死者・行方不明者を上回る犠牲者を出した。地元の写真師、末崎仁平(まっさきにへい)が津波発生の翌日に撮影を開始したため混乱する現場の様子が生々しく記録された。構図やレンズワークも優れており、明治時代の津波を記録した第一級の写真となっている。

 末崎は同年9月、県を通じて一連の写真19枚を宮内省(当時)へ献納したいと願い出て11月に実現した。現在、宮内庁書陵部所蔵の明治の災害記録写真アルバム「風水害之写真」(データベースの登録名「諸国災害実況写真」)の中にある。

 共同通信が5年前、末崎の撮影した写真のガラス乾板などが盛岡地方気象台にあることを報じた。この記事を岩手日報で見た大船渡市の越喜来(おきらい)漁協組合長、船砥(ふなと)秀市さんが末崎は祖先の一人だと思い、東日本大震災の復興対応が一段落した今年2月になって、同紙に連絡した。

 船砥家の系図によると、同家から遠野南部家家臣の末崎家に養子に行ったと記され、船砥さんの祖父の叔父に当たる人物だという。しかし生没年月日は不明で、写真術をどこで習得したかも分かっていない。