明治政府が江戸を首都と定めた当時、霞が関の地価は千坪(3300平方メートル)で25円だったという。今や官庁街の代名詞。一坪3千万円はくだらない。同じ時期、永田町は千坪20円だった

▼今の貨幣価値で40~50万円程度か(洋泉社「明治の金勘定」より)。全盛期の江戸は世界屈指の100万都市だったが、戊辰戦争を経て武士が去ると急減。新政府は幕臣、大名の屋敷を接収し民間に払い下げた

▼だが売れ行きは芳しいとは言い難い。新政府は公費捻出のため、今の東京駅周辺10万坪の買い取りを富豪に持ちかけたものの反応は薄い。そこで手を挙げたのが、小岩井農場の創業者の一人、岩崎弥之助だった

▼兄弥太郎の後を継ぎ三菱社を率いる弥之助は、「国家に尽くす」を社是としていたという。小岩井開拓に加わったのも、話を持ち込んだ鉄道庁長官井上勝の「国家公共のため」という志に打たれたからとされる

▼以後、江戸をしのぐ開発が続く東京には存外に狐狸(こり)妖怪話が残る。特に古くからの市街地の周縁に多いと言われるのは、環境破壊への後ろめたさと無縁ではあるまい。元々キツネやタヌキのすみかだったからだ

▼永田町も、そんな土地柄だ。狐狸妖怪話は引きも切らず。衆院を解散するとかしないとか、庶民には遠いところで続く腹の探り合いに、志はどれほどあるものだろう。