岩手から、きら星のごとく人材が生まれる時期があった。戦前、学者として三田定則、田中舘愛橘(あいきつ)らが出て、軍人の米内光政、板垣征四郎が同時に大臣を務めた

▼「逸材は突然出たわけではない」。当時、盛岡女子商業学校長だった冨田小一郎が語っている。分野を問わず人材を生む土壌が岩手にはある、と言いたいらしい。石川琢木の師でもあり〈よく叱る師ありき〉と歌われた冨田の言葉は、今まさにうなずける

▼世界的なスポーツ選手を岩手が同時に生むのも「突然」ではないのだろう。菊池雄星投手と大谷翔平選手が米大リーグで初対決した。明暗は分かれたが、同じ県、同じ高校の2人が、同じ最高峰の舞台に立つとは

▼「岩手県の花巻から2人出たことは、ちょっと意味があるのかな」。菊池投手の言葉に尽きよう。スキー・ジャンプの小林陵侑選手を含め、岩手から同時に逸材が出た。その「意味」を探れば、なかなか深い

▼冨田は語る。「岩手県人は自分を宣伝しないし、自ら機会をつくろうともしない。それは長所である半面、欠点でもある」。だから、岩手から人材を出そうと思えば「周囲の者が鞭撻(べんたつ)しなければならない」と

▼〈よく叱る〉厳しい冨田先生らしい。でも、もう先生のご心配には及ぶまい。今や、岩手の若者は自ら機会をつくり、世界への道を切り開くのだから。