統一地方選と参院選が重なる「亥(い)年選挙」の天王山となる夏の参院選を控えて、国会ではまたぞろ解散風が吹き始めているようだ。

 会期末は来月26日。直前の19日には約1年ぶりの党首討論開催が見込まれ、安倍晋三首相が衆院解散に言及するきっかけになるのではないかとの観測も出ているという。取り沙汰されるのは、衆参同日選の可能性だ。

 自民党の二階俊博幹事長は「風は吹きかけているように思う」と言う。解散の大義について「国民の信を問う事態は発生していない」とけむに巻くが、「理屈は後からついてくる」といった往時の政治家の言葉もある。与野党が、微風の段階からそわそわするのも「理屈」だろう。

 こうした動きを、主権者は冷静に観察したい。「解散は首相の専権」と言われるが、法律上、首相の解散権に関して明確な規定はない。過去には首相が求心力を失って解散できなかったケースもある。

 事実上、内閣を代表する首相の力の源泉となっているのは確かだが、意のままに衆院を解散できるといった解釈は成り立つまい。毎回600億円を超える国費と人員を投入する衆院選を行う意義があるかどうか。その判断には、本来的に主権者である国民の意思が反映されるべきだろう。

 憲法には、解散に関する条文が二つある。衆院で内閣不信任となった場合に衆院解散か内閣総辞職せよと定めた69条と、天皇の国事行為を規定する7条の「衆議院を解散すること」という項目だ。

 天皇の国事行為は内閣の助言と承認によるから実質的に内閣に権限があり、代表する首相が解散権を握るとするのが、いわゆる「7条解散」の根拠。その始まりとなった1952年の吉田茂内閣による解散では、野党議員から違憲訴訟が起こされたが、司法は三権分立の建前から判断を回避している。

 以後、解散は首相の専権という認識が与野党で共有されてきたが、「1強多弱」の政治情勢が続く中で、大義も判然としないまま「1強」の判断次第で、それぞれに国民の信託を受けている国会議員の身分が脅かされる状況が好ましいとは思えない。

 ドイツやフランスなど、先進各国は首班の解散権を厳しく制限している。わが国が議院内閣制のモデルとする英国でも、2011年の法改正で首相の解散権行使には議会の3分の2以上の同意を得なければならなくなった。米国大統領に議会解散権はない。

 大義もあいまいなうちから永田町を行き交う解散風は、大多数の国民には「どこ吹く風」に違いない。民主主義国家としての「後進性」を露呈する事態と言えないか。