2019.05.23

あしあと(14)菊池 エミさん(釜石)

助け合い、穏やかに暮らす菊池エミさん=釜石市鵜住居町(撮影データ=50ミリF1・2、125分の1秒)

助け合いの心、次代へ

 最近は、静かに暮らしている。楽しみだったデイサービスは、疲れないよう週3回を2回に減らした。釜石市鵜住居(うのすまい)町の菊池エミさん(94)は今春、ひ孫たちの写真に目を細めながら、自室で2人だけの「花見」を楽しんだ。

 足腰が弱り外出は大変なので、13年前に夫を亡くした義娘のタマ子さん(67)が花をたくさん摘んできて、ごちそうを作ってくれた。食事は普段からヨーグルトや酢を使うなど健康に配慮しており、おかげで大きな病気もせず健やかだ。

いつも見えるところに飾っている、ひ孫たちの写真。成長が楽しみ(撮影データ=35ミリF2、60分の1秒)

 「世話になってばかりで」とタマ子さんにわび、目を潤ませる。年を重ねるごとに、涙もろくなった。

 東日本大震災で、次男照好さん=当時(60)=と、照好さんの妻萬喜子さん=同(58)=を亡くした。生まれ育った鵜住居のまちも流された。

 「涙出る。思い出せねぇ」。あの日のことを思い出すと、うめくような声とともに、しわが深まる。

 市職員で土木や水道の仕事に携わっていた照好さんは、深夜に呼び出されても率先して現場に向かい対応する人だった。看護師だった萬喜子さんも、自分より周りの人の心を大切にし、思いやりにあふれていた。

 震災当時、エミさんはつえをついて歩けたため、近所の人が裏山に連れ出してくれた。自宅は辛うじて被災を免れ、家を失った親戚らを受け入れた。

 沢水をくみ、家にあった食べ物を分け合った。冷蔵庫の物が腐らぬよう雪を集めたり、山でフキノトウを採ったりと、皆が必死だった。なかなか支援が届かない自宅避難は年老いた心身にこたえたが、力を合わせて生き抜いた。

 時々「もしまた被災したら」と考える。地震のほか、土砂崩れや河川の氾濫など全国であらゆる災害が続いている。避難訓練にはタマ子さんが空の車いすを押して参加したが、実際に人が乗った車いすを使って逃げる訓練はしていない。裏山は坂道で、段差もある。逃げ遅れたら、タマ子さんを巻き込んでしまう。

 「おらは逃げねくていい。死んでもいい。おめさんだけ行けばいい」と話すたびに、タマ子さんが「そんなことできない」と手を握る。「早く逃げないと、誰かが助けに来るんだから。その人が危ないでしょ。一緒に行こう。何とかなるから、おんぶでも担架でも」と諭す。

 静かに暮らす、心優しい一家。エミさんに後世へ伝えたいことを聞くと「みんな、助け合わねばならない。おらはもうなんにもできないけれど、助け合わねばならない。それだけだ」と、本当の幸いを願った。

(文・写真、報道部・太田代剛)

賢治の言葉

誰だって、ほんとうにいいことをしたら、いちばん幸なんだねえ。

 銀河鉄道の夜より抜粋

 
~東日本大震災
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日~
 
 ◇主な使用資機材▽カメラ ニコンF3P▽フィルム TRY-X▽フィルム現像液 D-76▽印画紙現像液 デクトール