戦後日本が、米国を中心とする戦勝国軍の占領政策を経て主権を回復したのは1952年。沖縄が日本に復帰したのは、それから20年遅れて47年前の5月15日のことだ。

 沖縄は、本土で急激に進む経済発展の流れから取り残された。統治する米国民政府は53年、土地の強制収用手続きを定めた土地収用令を公布。「銃剣とブルドーザー」と称される強圧的な手法で軍用地を拡大していく。

 この間、55年には6歳女児が米兵に乱暴され、殺される事件が発生。59年には小学校に米軍の戦闘機が墜落して児童17人が死亡、200人以上が負傷するなど、米軍に起因する悲惨な事件が相次いだ。戦争放棄、国民主権、基本的人権の尊重を旨とする平和憲法を掲げた日本への復帰は、沖縄県民の悲願だった。

 復帰から47年。沖縄は、憲法の理念と現実とのギャップに依然として苦悩を強いられている。それは決して沖縄だけの問題ではない。

 日米安全保障条約と、それに基づいて在日米軍の権限を定めた日米地位協定は、ほとんど見直されることなく現代に引き継がれている。その結果、日本の空の管制権は今も米軍の管理下にある。

 東京・多摩の5市1町にまたがる米軍横田基地の管制空域は、新潟から静岡まで1都8県に及ぶ。今年1月、政府は「横田空域」を一部通過する新たな飛行ルートについて米国と基本合意した。

 戦後74年。自国の空の利用もままならない状況は占領時代を想起させる。米兵の犯罪に対する米側の優先的な裁判権や米軍機への航空法の適用除外など、在日米軍に由来する課題や問題は陰に陽に日本の主権を脅かす「終わらぬ戦後」の象徴としてある。

 本土から20年遅れとなった沖縄の「戦後」は、日本復帰当日に日米が交わした覚書によって米軍基地の大半が占領時のまま残された。復帰後も米軍人らによる刑法犯罪は昨年末までに約6千件、航空機関連事故は800件近い。

 一方で基地経済への依存度は、復帰直後の15・5%から今や5%程度。沖縄の「脱・基地」の取り組みに、国が壁となっているのが米軍普天間飛行場の辺野古移設問題だ。

 政権は、相次いで示された「新基地建設反対」の民意を無視する形で工事を強行。国策と地方自治がせめぎ合う構図を、沖縄の問題に閉じ込めるわけにはいくまい。

 岩手県議会は今年、工事を中止し県側との協議を求める意見書を国側に提出した。打開策を見いだすのは容易ではないにせよ、地方の意思を尊重して議論を尽くす環境を整えるのは国の責任だ。沖縄の基地問題は、日本の戦後民主主義の熟度を問うている。