まぶしい新緑。のどかな田園風景。ただ、人がいない。倒壊した家屋に心が痛む。

 今月10日、原発立地自治体として初めて、事故に伴う一部地区の避難指示が解除された福島県大熊町。先週末に訪れた際、厳しい現実を実感させられた。

 町は「帰町を選択できる環境づくり」を進めるが、帰還に向けた動きは鈍い。病院も買い物も隣町。いくら愛着があっても、生活は大変だ。

 周辺市町村も、少しずつ生活基盤は整ってきたが、現実は厳しい。2014年4月以降に避難指示が解除された9市町村で、住民票がある約4万8千人のうち、実際に居住する人は2割強にとどまる。

 一方、福島を遠く離れて暮らす人の心境も、切ない。もりおか復興支援センターを運営する一般社団法人SAVE IWATEは先月、被災者の手記集「残したい記録 伝えたい記憶」を刊行。その中で、盛岡市に移り住んだ南相馬市出身の女性が思いをつづっている。

 「被害にあったすべての人々が苦渋の選択の上で今の生活を送っています」「あのとき、どうすればよかったのか、何が正しかったのか、誰も教えてはくれませんし、誰もわかりません。ただ喪失感だけが残りました」

 あまりに重い、この8年。古里への帰還、避難先への定住、それぞれに生活上の課題や心のわだかまりが伴う。残るか戻るか、今なお悩んでいる人も多い。

 そんな中、避難指示解除を節目に帰還施策が強化され、避難者への公的な支援は先細っている。帰還先の現実、そして避難者の置かれた状況からしても、あまりに冷たい。

 福島県は「インフラ整備や除染が進み、県内の生活環境が整ってきた」として、既に自主避難者への住宅の無償提供を打ち切った。各都道府県による住宅支援施策も順次縮小し、今年3月末でほぼ終了。にもかかわらず、国は支援に消極的な姿勢を続ける。

 日本でこれほど長期にわたり、広域の住民が避難を強いられている経験はない。そして今なお、長期的な支援の枠組みもない。福島の避難者数は統計上、4万人超にまで減ったが、そこに含まれない自主避難者は膨大な数に上るとみられる。その実態が見えないまま、生活困窮など課題の深刻化が懸念される。

 もりおか復興支援センターには、自主避難を含め42世帯が登録。相談員が定期的に福島の現状などについて情報提供したり、住宅・生活再建支援などを行っている。

 国は各地の民間の取り組みも参考に、長期的な支援策の構築へ主導性を発揮すべきだ。避難指示解除が支援の切れ目であってはならない。