復興に向けて景色を塗り替える古里と、そこに今いない自分。黒々とした津波がまちをのみ込んだあの日から、8年がたつ。家族や知人を頼って内陸部に避難し、生活を一から築き上げる人たち。戻りたい、戻れない。語れない、語りたい。たどってきた道のりもまた一様ではない。

 盛岡市の復興支援団体SAVE IWATEは、東日本大震災被災者による手記集を初めて作成した。被災者の言葉を通して教訓を受け継ごうと企画、16人が体験談を寄せた。

 定住した70代の女性もその一人。海沿いの自宅、夫…、津波で多くのものを失った。震災後しばらくは勤め先がある沿岸と、身を寄せた盛岡を往復する日々。「ごせーやくな(腹を立てるな)」となだめてくれた夫を思い、峠道を何度越えただろう。

 盛岡のまちを歩けば、声を掛け合う知人も増えた。一方、記憶の風化が進む内陸と、自分も「逃げた」という思い。表立って語ることをためらってきたが、気持ちを奮い立たせてペンを執った。

 沿岸各地から盛岡市内への避難は最大時、800世帯を超えたとみられる。8日現在は587世帯、1152人。市が昨秋実施したアンケート調査では、定住希望が8割を超えた。

 命からがら逃げ、衣食住の心配が先に立った震災直後。生活の再建とともに悩みも変容している。健康や生活費、仕事、子育て・教育など。自宅を建てても負債を抱え、困窮するケースもある。

 調査では、近所付き合いがほとんどない世帯も半数近くあり、特に高齢の単身・夫婦世帯への見守り活動は欠かせない。「生活はだいぶ落ち着いたが、先行きが不安」「まだ寄り添ってほしい」。自立に向けた助走期間やニーズは個々に違い、息の長いサポートが重要になっている。

 地域や職場、学校で、環境の変化になじむのはたやすいことではない。しかし震災体験が防災に生かせるように、被災者自身の多様な経験がコミュニティーで必要とされてもいる。支援も一方的な関係性ではなく、「お互いさま」と感じられる交流があれば気持ちも和らぐかもしれない。

 「故郷を捨てたと言う人もいるだろう。でも、忘れたわけではない」

 「ついのすみかと決めたここで復興を願い生きていく」

 手記集には、揺れ動く心情とともに、感謝の言葉がつづられている。11日に盛岡市で開かれる追悼行事「祈りの灯火(ともしび)」では6人が語り部となり、体験を話す。

 あの日、手から離れてしまった大切なもの。古里を思い、今を生きる場所でつなぎ直そうとしている。