釜石市で被災し、盛岡市肴町に移り住んだ小笠原明子さん(71)は11日、同市内丸で開かれる東日本大震災犠牲者追悼行事「祈りの灯火(ともしび)」に語り部として出演する。夫の一雄さん=当時(69)=を津波で亡くし、園長を務めていた保育園の園児4人も犠牲になった。沿岸を離れた「後ろめたさ」もあり、震災について語ることを避けていたが、震災8年を機に出演を決意。体験をつづった手記も仲間と共に刊行し、教訓を未来へ伝える。

 「津波を正しく怖がってほしい」。自身が体験した恐怖を克明に記した手記の最後に、小笠原さんは強い願いを込めた。

 2011年3月11日。大槌町吉里吉里(きりきり)の堤乳幼児保育園園長だった小笠原さんは、大きな揺れに襲われた。地震発生後、園児を自宅に連れて帰るため、2人の母親が同園を訪れた。小笠原さんは津波の危険性を指摘し、園内にとどまるように説得したが、自宅に戻った園児4人が亡くなった。それから「なんで子どもたちを帰してしまったんだろう」という罪の意識にさいなまれ続けた。

 釜石市片岸町の自宅は全壊。連絡が取れない一雄さんは同19日に遺体で発見された。悲しみが癒えなかったが、その後も同園に通い続け、13年3月に退職。長女が住む盛岡市に生活の基盤を移した。