2019.03.29

あしあと(10)佐々木友彦さん(山田)

養殖ロープから外した貝を手早く選別する佐々木友彦さん。1本のロープからカキが約100キロ、アカザラガイは1~5キロ程度採れる=山田町・山田湾(撮影データ=35ミリF5.6、125分の1秒)

歌と養殖、生きる糧に

 群青の水面に深紅の太陽が昇る。山田湾の朝は、波というより揺らぎのように穏やかだ。山田町飯岡の漁業兼歌手佐々木友彦さん(44)は、豊かな海の光の中で養殖ロープから貝をはがす。大きなカキに、特産化を目指すアカザラガイが時折しがみついている。

 東日本大震災で、姉の阿部育子さん=当時(41)=と、育子さんの次男でおいの阿部尚貴さん=同(16)=を亡くした。

時代に翻弄される漁業の現実と未来への希望を歌詞に込めた代表曲「大漁旗(フライキ)を揚げろ」を歌う佐々木友彦さん=山田町・三陸鉄道リアス線(撮影データ=105ミリF2.5、125分の1秒)

 地震の後、育子さんは寝たきりの父正胤(せいいん)さんの無事を確認し、庭先で佐々木さんに「おじいやん、なんともねえよ」「わらすが心配だっけえ家さ帰っけ」と話した後、尚貴さんらを迎えに行って被災した。「行くな」と言えなかったことが今も心に刺さっている。

 交代で介護していた育子さんが亡くなり、男一人の介護が始まった。朝、カキを収穫すると帰宅し、食事や下の世話をして風呂に入れた後、作業場に戻って夜通しカキをむく。ぎりぎりの生活は船の故障や貝毒などが重なり、次第に追い詰められていった。風呂場で正胤さんの首に手をかけそうになるたびに、自作の歌を口ずさんでごまかした。

 「父を殺してしまわぬため、うつにならぬために、歌うしかなかった」。6年間の介護の末、正胤さんは2015年に87歳で息を引き取った。「自分の人生をやり直す」と誓い、取り組んでいるのがアカザラガイだ。

 殻は鮮やかな朱色で直径6、7センチほど。味はホタテに似ているがずっと濃厚で、うろ(中腸腺)や生殖巣をポン酢で溶いたたれで塩辛風にすると最高のさかなになる。養殖カキに付着する雑物の一つで、傷みやすいため捨てられていたが、近年注目され価格が上がっている。養殖技術が確立できれば、厳しい浜の現実を変えられるかもしれない。

小ぶりだがうま味が強いアカザラガイ。ホタテガイと同じイタヤガイ科で、岩や砂利、養殖カキなどに自然に付着し成長する(撮影データ=35ミリF2、60分の1秒)

 同町の漁業は、世界情勢に翻弄(ほんろう)され厳しさを増している。さらに佐々木家は1947年の大火や60年のチリ地震津波で被災。佐々木さんは貧しさの中、菓子パンとカップラーメンで育てられた。親類らは「金返せ」「金よこせ」と言い合い、中学のころ3千万~4千万円の借金の存在を知った。

 伯父が全て借金を相続し、正胤さんら親類の協力を得て返済を続けたが、市場では業者が経済力を背景に価格交渉で優位に立ち、小規模な漁家を採算が取れないほどに追い詰めた。いつしか正胤さんは酒にのまれ、2009年には母ヒメさん=当時(74)=が交通事故で急逝。せきを切ったように心からあふれ出した歌を、歌い続けている。

 24日は全線開通した三陸鉄道リアス線で「大漁旗(フライキ)を揚げろ」などを披露し、観光客に復興への長い道のりを語った。

 「この浜にはうちみたいな漁師がごろごろいる。まじめに働く漁師がちゃんと食っていけるようにしたい」。子どもたちに笑顔で古里を託すため、歌で理不尽にあらがい、海を信じて養殖に挑み、懸命に生きる。

(文・写真、報道部・太田代剛)

賢治の言葉

みんなが町で暮(くら)したり/一日あそんでゐるときに/おまへはひとりであの石原の草を刈る/そのさびしさでおまへは音をつくるのだ/多くの侮辱や窮乏の/それらを噛(か)んで歌ふのだ

 春と修羅第二集 告別より抜粋

 
~東日本大震災
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