原敬の養子で文筆家だった奎一郎(本名貢)が英国留学に出たのは、原が凶刃に倒れる直前の1921(大正10)年の秋口。唐突に「私が死んでも帰ってこなくていい」と言われたという

▼続けて「ママちゃん(浅夫人)が死んでも帰ってこなくていい。二人のうち一人でも生きているうちは帰ってこなくていい」とも。「では二人とも死んだらどうするのか」と貢は問うた(「ふだん着の原敬」)

▼原は落ち着き払って、「二人とも死んだら帰ってこなくては-」と答えたという。言いつけ通り、貢は原横死の報に接しても帰らなかったが、その約1年半後、原の後を追うように浅夫人が没した際は帰国した

▼鈍感故の幸か不幸か「虫の知らせ」というものを意識したことはない。だが体験談に感じ入る機会は一度ならず。最近も、古希を間近にして自宅で突然倒れ、そのまま息を引き取った知人にまつわる話を聞いた

▼倒れる前日、普段と変わらない様子で孫相手に「じいちゃんと一緒に天国行くか」と話していたという。孫に「いやだ」と断られ、笑っていたそうだ。宗教宗派にとらわれない言説が魅力的な仏寺の住職だった

▼震災発生から丸8年。今だから話せること、今も話せないこと…。面影を胸によみがえらせる時、生きている一瞬、一瞬に意味があるのだと気づかされる鎮魂の3月。