96歳で2月下旬に亡くなったドナルド・キーンさんの自宅に伺ったのは、東日本大震災の年の暮れだった。緑豊かな都内のマンションで、高名な日本文学研究者は質素な暮らしをしていた

▼体調を崩していたが、話はよどみない。既にその時、震災を機に「日本人と共に生き、死にたい」と日本国籍の取得を表明していた。「どんな困難があっても、日本人は必ず再び立ち上がる」との言葉が印象に残る

▼例えばキーンさんは応仁の乱を挙げる。文化の中心・京都が灰じんに帰したのに、わずか10年で東山文化が栄えるほど目覚ましい復活を遂げた。戦災で東京が焼け野原になった時も、10年もたたずに息を吹き返した

▼そして敗戦以来の国難と言われた大震災から、8年がたつ。道路がつながって、鉄路も一本になり、生活の基盤が整った。課題を抱えながらも復興が進む今、新しい街にどんな魂を吹き込めばよいのだろう

▼キーンさんが説いたのは「祈り」の大切さだった。中尊寺金色堂の存在感がひときわ高まるのも、津波で家族や親類、友人を亡くした人が東北には多いから-だと

▼〈二つ合せた手がみえる〉。八木重吉に短詩「春」がある。きのうは亡き人を思い皆が祈った。時が流れても、春には二つ合わせた手が見える。祈りが溶け込む復興の街を、老研究者は願ったのかもしれない。