三陸鉄道は、全国初の第三セクター鉄道として1984年に開業した。乗客数は同年に268万8千人を記録し、開業初年度からしばらく黒字経営が続いた。

【祝賀】南リアス線出発式でくす玉を割る関係者=1984年4月1日、大船渡市・盛駅

津波で鉄路寸断 社員の熱意で早期復旧

 しかし、その後は乗客の減少が続き、2010年度は85万1千人まで落ち込んでいた。1994年度からは赤字に転落。苦しい経営が続く中、2011年3月11日に東日本大震災が発生した。路線各所で駅舎や線路が流出。車両16両のうち3両が水没する甚大な被害に見舞われた。

【流されたレール】並走する国道を越えて流されたレール=2011年3月13日、野田村野田
【はぎ取られ】津波でレールが剥ぎ取られた線路=2011年5月16日、大船渡市で特別機から空撮

 大津波の直撃を受けて高架が消え、橋脚の損傷やレールのゆがみも広範囲にわたった。宮古駅の宮古本部は停電で使えなくなった。電気が回復するまでの3日間、駅にあった車両のエンジンをかけて事務所代わりにしてしのいだほどだ。

【むき出し】津波で被災しむき出しになった線路=2011年4月10日、大船渡市盛町・第2田茂山踏切

 同社が試算した全面復旧費用は180億円。復旧への道筋は見通せない。しかし、三鉄が動き出すことが被災地を元気づけると信じた社員たちの思いは熱かった。

【復興支援列車】物資調達や子どもたちに会いに野田村から久慈市に向かう乗客=2011年3月16日

 「全線は無理でも部分的に通せるところはないか」と、応急工事をスタート。震災からわずか5日後、北リアス線の久慈-陸中野田間で「復興支援列車」を運行させた。料金は無料。わずかな区間の運行だったが、被災者に大きな勇気を与えた。 被害が小さかった他の区間でも、次々と運転を再開。沿岸部の大動脈・国道45号が分断された上、容易にガソリンが入手できなかった当時、三鉄は住民の足として大きく機能した。

【宮古-田老の運行再開】列車を降り、知人に駆け寄る女性=2011年3月20日、宮古市・田老駅

復興の灯〟三陸鉄道が一つにつながるまで③