命の重みが胸に迫る。東日本大震災から8年、まち並みは復興を表すように日々変化する中で、大切な人を失った悲しみ、後悔が消えることはない。でも、あの人を思い、震災の教訓を伝え、語り継ぐことが、きっと報いになる。そう信じている。11日は県、久慈市合同の追悼式など各地で追悼行事が行われる。まぶたの裏に浮かぶかけがえのない人々を胸に、今日も祈り続けている。

 陸前高田市高田町に、震災で犠牲となった市消防団高田分団第1部の11人を弔う社が立っている。危険を顧みず人々の命を守ろうと奮闘した若き魂の「生きた証し」。避難誘導中に亡くなったとみられる11人のうちの一人、石川恭隆(きょうたか)さん=当時(36)=の母はつ子さん(70)は10日、いつものように社に向かい、ゆっくりと手を合わせた。

 木製で銅板ぶきの屋根の社は、はつ子さんと夫の恭介さん(74)が消防団の屯所跡地近くに昨年12月に建てた。菩提(ぼだい)寺も被災し、縁のある紫波町に長男恭隆さんの墓を建てたが「知らない土地に1人でいるのは寂しいだろう」と仲間と共に供養できる場所を作った。「今度6年生になる孫は、髪の毛も話し方も恭隆にそっくり」。肌身離さず持ち歩いている写真。孫と一緒にほほ笑む姿に、涙があふれてきた。

 「どうして一言逃げろと電話しなかったのか」。母にとって息子に先立たれることほど苦しいものはない。祈ることしかできないが、それだけで少し気持ちが楽になる。社は非常時に避難路となる海から高台に延びる市道「シンボルロード」沿いに位置する。「いつかまた津波が来た時は、逃げる人たちを守ってほしい」と願いを込める。