「死生観」という言葉は日本以外には見当たらない-と、宗教学者の山折哲雄さんは近著に記す(「老いと孤独の作法」)。山折さんは2016年暮れ、軽いめまいに襲われ倒れたという

▼これまでも入院経験はあるが、そのたびに感じていた鈍痛がない。代わって「何かの重しが取れたかのように、意識がスーッと飛んでいくような感覚」があった。当時85歳。初めて味わう「存在自体の軽さ」だ

▼年明け後に脳梗塞の手術を受け、翌日には退院できた。この経験から、人生で背負う重荷が「病に伴う『重い鈍痛』と体内でつながっていた」ことに思い至る。その正体は本であり、そこからくみ取った思想だ

▼「思想や哲学、宗教から自由になる」という境地を我が身になぞらえる素養も知恵もないが、「野ざらし」を体現した芭蕉や良寛、西行に、憧れめいた気分はある。それは自分が日本人だからなのかもしれない

▼少子高齢化に絡み、麻生太郎副総理兼財務相が「子どもを産まない方が問題」と発言。「長寿化より少子化の方が社会保障や財政の持続可能性の脅威」などと釈明したが、いずれ「主犯」探しの論法は噴飯物だ

▼医療や生命科学の発達は人類の未来に希望の光をともす一方、倫理に関わる議論は後追いの印象がある。産むも死ぬも社会の都合-。そんな日本に、誰が住みたいか。