2019.12.20

あしあと(27) 佐々木清子さん(住田)

有縁の碑に祈りをささげる佐々木清子さん。家族が永遠に眠る=陸前高田市高田町・浄土寺(撮影データ=24ミリF5・6、250分の1秒)

2度の決断経て前へ

 次へ進むために、誰かが決めねばならなかった。

 1度目の決断は2011年4月。住田町世田米の佐々木清子さん(76)は遠方の親類を集め、陸前高田市で被災した姉の菅野久子さん=当時(87)=と、めい菅野八穂子さん=同(54)=の葬式を出した。2人ともまだ、遺体が見つかっていなかった。

永代供養される有縁の碑。東日本大震災で古里を離れる人が増える中、150人ほどの名前が刻まれている(撮影データ=24ミリF11、60分の1秒)

 たまたま出掛けていた同市で地震に襲われ、急いで住田町の自宅へ戻った。高校生の時にチリ地震津波を経験していたが、まさか海岸から1キロ以上離れた実家が被災するとは思わなかった。翌日、久子さんと八穂子さんを探しに戻った古里の惨状に言葉を失った。

 2人を探す日々が続いた。足を棒にして避難所を回り尽くすと、安置所通いが始まった。「元看護師なので、どんな遺体でも大丈夫です。見せてください」と頼み込み、必死で探した。

 家族を見つける-。ただそのためだけに1カ月が過ぎた。夜が明けるたびに「今日も行かなきゃ」と起き上がり、数え切れないほどの遺体の特徴をくまなく調べ、所持品を生前の写真と見比べた。生き残った家族は皆、疲れ切っていた。

 「私が決めないと、どうにもならない」。悲しい決断を強いられた。住田町の小さな旅館で写真だけの葬式を出すと、少しだけ区切りがついた。翌月、やっと2人の遺体が見つかり火葬を済ませ、心のつかえが下りた気がした。足は重く、道は遠いけれど、歩み続けるきっかけとなった。

 それから7年。自宅を流され、仮設暮らしだった姉も同町で自宅の再建を果たした。やっとたどり着いた安寧の一方で、古里の陸前高田で暮らす家族はいなくなった。

 生き残った家族は皆高齢になった。「今、何とかしなければ」「私たちが生きているうちに」と考え抜いた末、昨年5月、2度目の決断を下した。同市高田町の浄土寺にあった先祖代々の墓をしまって遺骨を同寺の「有縁の碑」に移し、永代供養を依頼した。

 「いつまでも家族が一緒にいられる。寂しい思いをさせず、仏様に見守ってもらえる」と信じる。

 有縁の碑の前では、やっとかさ上げが終わった市街地の建設が進む。「まちが変われば変わるほど、わびしくなってしまうのは私だけなのか」と自問する。そんな思いがなくなる日が、本当の復興なのだと思う。

 静かに手を合わせ、まちの復興と住民一人一人の復興、そして、目に見えない心の復興が一日も早く進むことを、切に願う。

(文・写真、報道部・太田代剛)

賢治の言葉

人に菩提(ぼだい)の心あるを以(もっ)て菩薩(ぼさつ)を信ず/菩薩を信ずる事を以て仏を信ず

 疾中(一九二九年二月)より抜粋

 
~東日本大震災
3
2
0
6
日~
 
 ◇主な使用資機材▽カメラ ニコンF3P▽フィルム ネオパン100アクロス▽フィルム現像液 D-76▽印画紙 フジブロWPFM2▽印画紙現像液 コレクトールE