飛行機旅行中、不穏な夢から目覚めた人が、窓から眼下の大地を見つめる。その頃、地上の誰かが家から顔を出し空を見上げる。「ほんの一瞬、ふたりのまなざしが交わるかもしれない」

▼ノーベル文学賞受賞が決まったオルガ・トカルチュク氏(ポーランド)の小説「逃亡派」の一節。先週末、このくだりまで読み進んだところで寝た。翌朝目覚めると、がんで闘病中だった友人が亡くなったという知らせが入った。夢であってほしかった

▼「逃亡派」は、旅や移動にまつわる哲学的な長編。クロアチアを旅行中に失踪した妻子の行方を捜す男性の物語。パリで没したショパンの心臓を愛する祖国に埋葬するため、冬の平原を馬車でひた走る姉の物語

▼時代も行き先も、交通手段も異なるさまざまな旅が次々に繰り広げられる不思議な小説。私たちの人生そのもの、さらには人類の歴史そのものが、旅であるかのように

▼亡くなった友人は旅行が大好きだった。病状が悪化しても、治療の合間を見計らって北海道や四国など各地に出掛けた。そのたび、たくさんお土産を買ってきてくれた

▼「空へ」-。新たな旅の始まりで小説は終わる。友人は天国へ旅立った。2人に1人ががんになる時代。「がんになっても最期まで前向きに生きることができる」。大切なメッセージを、地上への置き土産に。