昨年末から「末崎仁平(まっさき・にへい)」という写真師の足跡を追った。1896(明治29)年に本県を襲った明治三陸大津波の際、宮古市内の被災状況をいち早く撮影した人物。大船渡市内の子孫が「先祖の業績をより知ってほしい」と支局を訪れてから長い旅が始まった。

 本紙は5年前、末崎撮影のネガが盛岡地方気象台に所蔵されていると報じた。当時担当した同業のベテラン記者とタッグを組み、いざ取材開始。子孫に当たる船砥(ふなと)家は末崎直筆の「家系図」を保管しているが生没年など来歴は不詳で取材は困難続きだった。

 末崎は船砥家から-の養子となっており、遠野市にも足を運んで足跡を求めたが空振り続き。どこで写真術を覚え、いつ宮古に行き写真業を営み始めたのか、津波後の足取りはどうだったのか―。多くの謎が解けないままの原稿となり悔いもある。

 改めて末崎の写真を見てみる。壊れた木造家屋、ぼうぜんとする人、まだ珍しかったであろう写真機のレンズをいぶかしむ表情がはっきりと写る。

 自身が住む街を襲った災害に何を思いカメラを向けたのだろうか、と思いが募る。末崎は中央の写真史では無名の人物で資料も少ない。頼りは地域に住む読者の皆さん。ぜひ情報をお寄せください。

(長内 亮介)