2019.10.07

あしあと(22)伊東 寛享さん(横浜)

もう、ノーサイドだ。夕暮れの中で、ふるさとを思う伊東寛享さん=横浜市緑区(撮影データ=105ミリF2・5、125分の1秒)

祈り 釜石から世界へ

 静寂の中、フィジー、ウルグアイ両国の代表選手と1万4025人の観客が深く頭を下げ、東日本大震災の犠牲者に祈りをささげた。釜石市鵜住居(うのすまい)町の釜石鵜住居復興スタジアムで9月25日に行われたラグビーワールドカップ(W杯)の試合前、地元の思いに大会組織委が応え、震災犠牲者を悼む黙とうを行った。

ラグビーW杯フィジー-ウルグアイ戦の開始前、震災犠牲者に黙とうする観客=9月25日、釜石市・釜石鵜住居復興スタジアム(撮影データ=24ミリF11、60分の1秒)

 横浜市緑区の会社員伊東寛享(ひろゆき)さん(49)は、同スタジアムの下に眠るふるさとで両親を亡くした。家族の思い出があふれるまちはあの日がれきの山となり、その後かさ上げ工事で埋め立てられ、真新しいスタジアムが建設された。

 記憶の中の故郷と変わっていないのは、高台の鵜住(うのすみ)神社と、三陸鉄道をくぐるアンダーパスだけ。「高校を出て地元を離れた俺がどうこう話すもんじゃない」と言いながら、別のまちのように美しく生まれ変わった鵜住居で開かれるW杯には複雑な思いがあった。

 「あそこで開催するのなら、ただのお祭りではなく、鵜住居で起きたことを多くの人が知り、生きるための教訓を得る機会にしてほしい」。消えてしまった、かけがえのないものの重さを知ってほしかった。

 同スタジアムは、釜石東中と鵜住居小の旧校舎の跡地に建設された。両校の子どもたちは、震災後に「釜石の奇跡(出来事)」と言われた率先避難で多くが助かったが、寛享さんの父勝利さん=当時(68)=と母美恵子さん=同(66)=は、釜石東中の前にあった自宅で被災した。W杯で世界のメディアが集っている、ベニューメディアセンターのあたりだ。

 当時、美恵子さんは病気で体調が悪く、2階で寝ていたとみられる。勝利さんも近くにいたらしい。「逃げてほしかったが、病状からして難しかっただろう。仮に逃げたとしても、行き先は(被災し大勢が亡くなった)鵜住居地区防災センターだった。結局、生き残る可能性は低かった」と、無念ばかりが残る。

 「そもそも、自分も両親も近所の人たちも、まさか本当に津波が来るとは思っていなかった」と振り返る。同センターで行われた避難訓練も、後に「訓練のための訓練」だったと指摘された。生き残るための何もかもが足りなかった。

 W杯では、にぎわいの一方で大勢の観客が同センター跡地に建設された追悼施設を訪れ、真剣なまなざしで鵜住居の出来事に理解を深めている。他会場にはない「祈り」とともに、教訓が世界に広がっていく。

 横浜市の自宅近くでも2014年、台風18号でがけ崩れが発生し、1人が亡くなった。「災害はいつでもどこででも起きる。悲しみを繰り返さないための備えと心構えを伝えていくことが、両親の無念に応えるたったひとつの道だ」と感じるようになった。鵜住居でのW杯は、その役割を果たしてくれている。

 心の中で、ノーサイドの笛が鳴った。「自分もここで教訓を伝え続けていく」と誓い、家族と新たな思い出を紡いでいく。

 (文・写真、報道部・太田代剛)

賢治の言葉

新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある

 農民芸術概論綱要より抜粋

 
~東日本大震災
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 ◇主な使用資機材▽カメラ ニコンF3P、同FM2▽フィルム ネオパン100アクロス▽フィルム現像液 D-76▽印画紙 フジブロWPFM2▽印画紙現像液 コレクトールE