「ドスモノァ 居なぐなって 良がったナ …ドスマキは 一生消えない 焼印を押され…村を追われ…牛馬並みに埋められ 口の端にするさえ厭われ 影さえも消されてしまった」

 本県のハンセン病患者や家族はどんな人生を歩まされたか。県央部在住の80代男性が幼少期を振り返って記した詩を読ませてもらった。

 患者は「ドス」と呼ばれて忌み嫌われ、強制的に連れ出され、療養所に隔離された。さらに、患者を出した家は「ドスマキ」と呼ばれて差別され、地域で孤立。詩は、悲劇を生んだ国策に対する静かな怒りで満ちている。

 今月、超党派の国会議員グループが、元患者家族の補償法案基本方針を決定した。家族への差別について国の責任を認め賠償を命じた6月の熊本地裁判決を踏まえ、補償額は最大180万円。近く法案を臨時国会に提出する。

 補償の対象は、元患者の親子や配偶者、きょうだい、同居していたおい、めい、孫ら。戦前の台湾や朝鮮半島に住んでいた家族らも対象とする。法案の前文案は「国会」「政府」を主語として、家族への謝罪を記す。

 幅広く救済しようとする枠組みは評価できる。ただ、補償金を払って終わりではない。ハンセン病差別は過去の問題ではないからだ。

 2001年、熊本地裁はハンセン病の隔離政策を違憲として、国に賠償を命令。国は控訴を断念し、元患者本人に補償金を支給したほか、差別解消へ啓発活動にも力を入れたはずだった。

 だが、元患者や家族への差別は根強く残る。今回の家族訴訟の原告の大半は匿名だ。訴訟に参加したことで離婚に追い込まれた家族もいた。今回の補償措置が、こうした現状を変える一歩にならなければ、救済とは言えない。

 ハンセン病差別の特徴は、家族訴訟弁護団が指摘するように、国が近所の住民らを加害者に仕立てあげる仕組みを作ったという「加害構造」にある。通り一遍の啓発活動では、この強固な構造を打破することはできない。

 本県の男性が思い出すのが、亡き母の「ドスマキ」との交流だ。自宅の風呂に入れてあげるなど、患者の家族を差別することなく親身に関わっていたという。「なんつうごどねえぞ」と話していた母を、男性は「どの人にも親切だった」と振り返る。

 国策の下、全国各地で、陰に追いやられた患者と家族の苦しみがあった。そして、そこには、かすかな良心の光もあった。足元の歴史を掘り起こし、書き残し、語り継ぐなど、身近な問題として受け止めるための地道な取り組みを重ね、差別の根を絶ちたい。