遠野が「民話の古里」と呼ばれたのは、いつごろからだろう。国鉄が「ディスカバー・ジャパン」と銘打ち、大キャンペーンを展開した1970年ごろだと聞いた覚えがある

▼遠野の語り部の草分けとされる鈴木サツさんが昔話を語り始めたのも、ちょうどその頃。メディア出演も多く、全国各地に赴いた。柳田国男生誕百周年がブームの追い風となった75年、サツさんの付き添い役だった妹の正部家ミヤさんもデビューする

▼遠野市綾織町生まれ。7人きょうだいの長姉と12歳下の妹はともに幼少の頃、いろり端で父の菊池力松さんから聞いた200話以上を話せた

▼「ミヤっこ」「姉え」。こう互いを呼び合う2人の掛け合いは多くのファンに愛され「遠野物語」の裾野を広げた。今ある遠野文化は語り部姉妹の存在抜きに語れない

▼「(話を)作らないこと」。ミヤさんから何度か聞いた言葉だ。話が多少、分かりづらくても「父がそう話したから」とアレンジしないことを肝に銘じた。口承の原形を守り続けた民話の古里の顔は今月、昔話という宝物を授けた父、姉の元へ旅立った

▼「むかす、あったずもな」。DVDに映るミヤさんは柔和な笑顔で切り出した。仲良し姉妹が登場する「お月お星」。「姉こやー、姉こやー」。星になったミヤさんが月になったサツさんを呼んでいるようだ。