一関市が競馬を主催していたことを知っている人は、かなりの年配か関係者だろう。カスリーン、アイオン台風被害の復旧資金を得るため国の特別指定を受け、1949年に水沢競馬場で最初の市営競馬を行った

▼630万円の事業費をかけ、純益金30万円は市の会計に繰り入れられた。53年からは年に2回、62年からは年3回開催し、総額720万円余が水害から立ち直るための街づくりに充てられた

▼64年には県営、市営競馬の一元化を図るため県競馬組合が設立され、県、旧水沢市とともに構成団体となったが、競馬施行期限が67年に指定切れとなり脱退した。山目には馬検場もあり、年に数度馬市も開かれていた

▼一関地方と馬の関わりは古く前九年の合戦の際、源義家が同市千厩町周辺で数千頭の馬を集めた。「千馬屋」と呼ばれるようになり、兵馬の補給地として名をはせた。500年ほど前から現在の「千厩」になったという

▼馬産は、金や砂鉄とともに平泉文化の財政基盤を支えた。源義経の愛馬「太夫黒」の出生地とも伝わる。一ノ谷の合戦で、義経が太夫黒と駆け抜けた「鵯越(ひよどりごえ)の逆落とし」はあまりにも有名だ

▼64年前のきょう、日本中央競馬会(JRA)が発足した。記念して「競馬の日」。馬券を買ったら、ビギナーズラックがあるかもしれない。そんなウマい話はないか。