東日本大震災の被災3県で初開催となったNIE全国大会盛岡大会。盛岡市の市民文化ホールを会場に、初日の26日は、開会式に続く全体会で、明治大の斎藤孝教授が「新聞力と復興」と題して記念講演。座談会では、震災を経験した大学生と高校生のほか、学校で新聞作りに取り組む山田町の小学校教諭や元新聞記者で釜石市で復興支援に携わる「釜援隊(かまえんたい)」の隊員らが意見交換した。震災から7年4カ月。教訓を未来へつなぐために私たちは何をすべきか。新聞、教育双方の関係者が果たしてきた役割を振り返り、未来の人づくりに向けて真剣な議論を繰り広げた。

 司会 震災当時から教育や報道に携わっている4人に集まっていただいた。座談会の前半では震災を経験した若者の思いを聞いたが、どう受け止めたか。

 藤岡さん 子どもの成長は待ってはもらえず震災当初、教育に空白を生じさせてはならないと皆で誓った。佐々木さんは、たいへんな経験をした中、よく学び、地域とのコミュニケーションをつくってきた。

 手塚さん 佐々木さんは釜石市で昨年5月に発生した山火事を受け、苗木購入の募金や植樹を実施した。震災を記憶し、助けられた経験のある世代でもあり、震災の記憶がない世代にも思いを継承してほしい。

 佐藤さん 高橋さんは主体的に新聞作りに取り組み、社会に向き合ってきた。大沢小でも被災当初、「津波には負げね」という意地で新聞を発行した。地域の応援を受けることにつながり、新聞は人と人をつなげることを実感した。

 鹿糠さん 当時、新聞作りに取り組む高橋さんを取材したが、熱量は変わっていない。当時の指導教諭も新聞作りを強制せず、自ら学ぶことにつなげていた。

 司会 皆さんの震災当時や、その後の復興に向けた取り組みを聞きたい。

 藤岡さん 当時は県教委の義務教育担当だった。自分と他者を守る力を受け継ぎ、未来志向の社会をつくるため「いわての復興教育プログラム」を策定した。現場に戻った野田村の野田中校長時は、社会参画の視点を重視した。社会科の先生が新聞を活用して復興予算の使われ方を学ばせ、村の都市公園計画に生徒が参加したこともある。

 佐藤さん 発災時は6年生の担任。経験を記録してほしいとの思いから個人新聞の製作を提案し、29人中19人が書いてくれた。被災状況をなるべく見せないようにしていたが、地域を励ますポスターを張るため避難所からまちに出た。自衛隊や消防が懸命に復旧に取り組む姿を目の当たりにし、自分たちの役割を考えることにつながったと思う。

 手塚さん 岩手は記者としての初任地。震災後に盛岡に再び異動となり復興の課題を取材した。その後、直接復興に関わりたいと思い「釜援隊」に応募した。地域のコーディネーターをしている現在は、住民から気楽に悩みを打ち明けてもらえると感じている。

 鹿糠さん 震災時は大船渡支局長で自らも被災した。震災報道の中で、生き残った人、亡くなった人、これからを生きる人の命を大切にしたい思いを持っている。犠牲者の生きた証しを伝える企画「忘れない」、津波襲来時の犠牲者の行動を検証する取材活動を通して遺訓を伝えている。

 司会 教育と新聞をどうつないでいくか。

 藤岡さん 地域と学校のつながりは震災を経て、より強くなった。子どもたちも何ができるのか必死に考え「野田村の太陽になろう」と、主体者として活動する決意を持った。その中で、新聞は学校と地域をつなぐ接着剤の役割を果たした。震災当時は子どもたちの活躍する姿をたくさん載せてもらった。他地域の情報共有が難しかったこともあり、自分たちの活動の自信や、地域の誇りを醸成した。

 佐藤さん 一般の新聞は事実を伝える役割があるが、学校新聞は自分の考えをまとめ、前向きな気持ちで終わることが定石。未来に向けた希望を持たせる力がある。震災後に発行した学校新聞「海よ光れ」は新しい学校生活を送るため、津波と向き合った。

 記事の執筆は5、6年生の4人が担当し、被災のショックやつらい思いを共有した。住民が被災者のため毛布や食料を持ち寄り、まきを集めて火をたいたことも記事にした。人々の素晴らしさ、支援への感謝の気持ちを伝えた。応援メッセージは2千通を超えた。報道もされ、全国からの支援は今も続いている。

 司会 記者として教育現場をどう見ていたか。

 鹿糠さん 学校取材を通して子どもは希望だと感じ、その思いを届けたいという気持ちが強くなった。その一方、本当につらい思いをしている子どもたちもいて、配慮が必要だった。新聞の役割は重く、複眼的に物事を見ることが重要だ。

 手塚さん 全国の読者に何を伝えるか。仮設暮らしに少しでも愛着を持てるように奮闘する釜石高の女子生徒を取材した。どんな葛藤があり、成長したか。そのプロセスを伝えることで、子どもたちに彼女の経験から学んでほしいと思った。

 司会 震災の風化を防ぐためのメッセージを。

 佐藤さん 震災当時に生まれていない児童が入学してきた。山田で何が起こり、大人や子ども、学校がどう行動したか伝えないとならない、そのために震災を語り継ぐ会を始めた。地域の方の話を聞き、連帯感を育てていきたい。

 手塚さん 釜石で週2回発行されている「復興釜石新聞」は身近なニュースが載り、話題を共有して、地域の世代をつなぐ役割を果たしている。東京では震災のニュースが載ることが少なく、復興の歩みを思い出すことができる報道を続けることは大切だ。

 藤岡さん 風化を防ぎ、語り継ぐため、復興教育も新聞も役割は増す。新聞のメリットは多様な人の考えをくみ取れること。震災後は、考える視点を与える情報ツールとしての役割も強くなった。教育と実社会をつなぐリアリティーのある学びのため、新聞とコラボレーションしていきたい。

 鹿糠さん 二度と災害で命を落としてほしくないという遺族の思いを多くの記者が積み上げてきた。滝沢市の柳沢小で授業をした際「意味のある避難訓練をしたい」と応えてくれてうれしかった。新聞、教育は命を守ることが絶対的な使命。ともに子どもたちの中に根付かせていきたい。


藤岡 宏章さん(55) 県立総合教育センター所長

佐藤 はるみさん(58) 山田・大沢小教諭

手塚 さや香さん(39) 釜援隊隊員、元毎日新聞記者

鹿糠(かぬか) 敏和さん(38) 岩手日報社報道部次長

司会 村松 文代さん IBC岩手放送アナウンサー