10歳の息子を亡くした米国人女性の詩「最後だとわかっていたなら」が日本で共感を呼んでいる。和訳本は詩集では異例の約18万部を発行するロングセラーとなり、曲を付けた歌のCDも7日に発売された。岩手日報社がこの詩を引用し、東日本大震災から7年に合わせて掲載した広告に対する共感の署名も11日の掲載から1週間で約4千件に達した。震災で被災した翻訳者の佐川睦(むつみ)さん(48)は「亡くした人にはもう恩返しできない。新しく出会う人に〝恩送り〟をしたい」と語る。

福島で被災、翻訳者の佐川さん

 「最後だと-」は、明日が来ないと知っていたら愛する人に伝えたであろう言葉を、故ノーマ・コーネット・マレックさんが後悔と共につづった。「だから今日あなたの大切な人たちをしっかりと抱きしめよう」と呼び掛ける詩は、2001年の米中枢同時テロを機に世界中に広まった。

 当時、母親の急死で米国留学から帰国した佐川さんは友人のメールでこの詩を知り、翻訳の了承を得て07年に本にした。「訳しながら癒やされ、前向きになれました」と振り返る。

 震災時は福島県富岡町で英語学校を営んでおり、亡くなったり、音信が途絶えたりした知人もいた。自身も避難を余儀なくされたが「失うばかりでなく、人のありがたさも知った。多くの人に助けられている」と実感した。

 避難先の茨城県取手市で会社員の小山隆史さん(45)と出会い、結婚。詩を歌にしたCDを出した歌手クミコさんのライブが今月4日、東京で開かれ、2人で耳を傾けた。

 涙をぬぐった佐川さん。「人が同じような悲しみを持ち寄る時、ぬくもりが生まれる。詩を読んだ人が悲しんでいる人に『一人じゃないよ』と声を掛ければ、ぬくもりが大きくなる。それがうれしい」とほほ笑んだ。

妻亡くした陸前高田の佐々木さん

家族写真を見詰め、涙ながらに妻美和子さんとの生活を懐かしむ佐々木一義さん=17日、陸前高田市高田町の仮設住宅

 岩手日報社が掲載した「3月11日を『大切な人を想(おも)う日』に」と訴える新聞広告は、「最後だと-」の詩と、震災で妻美和子さん=当時(57)=を失った陸前高田市高田町の中和野仮設住宅に住む市議佐々木一義さん(64)が、大槌町浪板の「風の電話」で亡き妻に語り掛ける言葉などで構成。ホームページ(HP)では、夫を亡くした同町の女性の思いも紹介している。

 一義さんは2月中旬に風の電話を訪れ、2年前に夢に現れた妻を思い出しながら「生きていた、津波は夢だったと思った。でも目覚めたら、自宅の天井が見えた」と涙声で話し続けた。

 市内の飲食店でパートをしていた美和子さんは、4人の子どもを厳しく、優しく育て、笑顔がすてきな人だった。地震の後、母親を捜している途中で津波に遭ったとみられる。

 7年前の3月11日朝、一義さんと美和子さんはそれぞれ仕事に出掛けた。あまりにも日常すぎて、どんな話をしたか覚えていない。「明日が来るのが当たり前ではない」と知った日になった。

 今も、2011年の元日に美和子さんの提案で撮った家族写真を見詰め「もし最後だとわかっていたなら、抱きしめてやりたかった。大好きな奥さんを守りきれなかった」と悔やみ続けている。

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 岩手日報社は震災の風化を防ぎ悲しみと教訓を語り継ぐため、3月11日を「大切な人を想う日」とすることを提案し、署名を集めている。署名はHPと郵送(〒020-8622、盛岡市内丸3の7、岩手日報社広告事業局企画推進部)で受け付け。件数は毎月11日に紙面やHPで報告する。