東日本大震災の県内被災市町村では、震災遺構の保存を巡って対応が割れている。沿岸12市町村のうち、保存に踏み切るのは6市村で、惨禍を伝える建造物が姿を消し、風化が進むとの懸念が広がる。ただ、解体を選ぶ自治体も遺族や被災者感情などを考慮した結果であり、単純な是非論で語れない側面がある。復興計画は最終盤に入った。震災から8年目の年の瀬を迎え、物言わぬ遺構は伝承の在り方に複雑な問題を投げ掛けている。

 震災遺構を保存管理するのは宮古、大船渡、陸前高田、野田、普代、田野畑の6市村。残すのは防潮堤や水門、時計塔や学校などさまざまだ。宮古市のたろう観光ホテルは建物を公開、陸前高田市の旧気仙中校舎と道の駅高田松原タピック45は2019年度から公開予定だ。民間の取り組みとして同市では、津波高が分かるガソリンスタンド看板を移転保存した例もある。

 解体を選択、またはそもそも遺構に当たる建物が存在しないのは久慈、釜石、洋野、岩泉、山田、大槌の6市町。安全面や維持費、新たなまちづくり用地に重なるなどが、その理由だ。民間では大船渡市のさいとう製菓旧本社も、やむなく解体された遺構の一つだ。

 解体に際し、遺族らの感情を重視したのは大槌町だ。町は、多くの町職員が亡くなった旧町役場庁舎を解体中で、地域では今も存廃論議が続く。平野公三町長は、庁舎があることで苦しむ人たちの存在を解体の論拠の一つとし、新たに造る鎮魂の森などで伝承は十分に可能だとする。

 釜石市も13年、大勢が亡くなった鵜住居(うのすまい)地区防災センターを遺族らの求めを受け解体。市は伝承施設の整備を進める。