将棋がチェスと違うのは「敵を受け入れる」ことらしい。取った敵の駒をチェスは捨てるだけだが、将棋は味方に引き入れて生かす。持ち駒のルールは日本で育った将棋独特のものという

▼とすれば敵を許し、受け入れるのは日本の「文化」とも言える。いつから日本人に備わったか分からないが、ある時点には確実に見られる。明治維新という大きな転換点に

▼例えば榎本武揚は最後まで新政府に歯向かい、北海道に独立政権を打ち立てようとした。反逆者として打ち首となるはずが、許されて新政府の大臣まで務める。こうした例は、諸外国にはほとんど見られないと聞く

▼榎本らの世渡りを、福沢諭吉は「武士の気風を傷(そこな)う」と激しく非難した。評価は分かれようが、敵を受け入れる文化は維新の時にあった。その明治改元から、きょうで150年。政府は記念式を東京で行う

▼維新を見る岩手、東北の目は複雑だろう。戊辰戦争に敗れ、賊軍としてさげすまれ、侮られ、差別を受けた。だが屈辱をばねに人材が出た。原敬にしても、薩長への反骨と朝敵の汚名をそそぐ執念がなければ、あれほどの行動力を持ち得たかどうか

▼反骨心こそ人材を育てる。エネルギーが能力になって敗者も受け入れられ、国を動かす。その歩みを振り返れば、素直に祝えぬ「明治150年」も違って見えてくる。