第2次世界大戦の惨劇を未来へつなぐ動きが県内で続いている。12日は盛岡市館向町の三田健二郎さん(81)が広島市の国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の求めに応じ、被爆体験を収録。原爆の恐怖と核廃絶を訴えた。北上市二子町の小田島頌子(しょうこ)さん(77)らの元には今月、沖縄戦で戦死した父舘脇義範さん=当時(37)=にまつわる手紙が73年を経て届いた。戦争を知る世代は、過ちを繰り返さぬよう思いを後世に託す。

広島市の地図を広げ、叶真幹館長に被爆体験を話す三田健二郎さん(左)=12日、盛岡市館向町

被爆体験収録、核廃絶を訴え 盛岡

 突然の光と爆風。気を失い、目覚めると「うるさいはずのセミの声もしなかった」-。爆心地から約2・3キロの広島市の国民学校校舎で被爆した三田さんが、ビデオカメラに向かって8歳の記憶をたどる。

 大きなけがはなく、家族も無事だったが、元気だった青年が放射能の影響で被爆から1カ月後に亡くなる現実があり、原爆の恐ろしさを感じた。助かって運が良かったと思う一方、無事だったことへの罪悪感もあった。

 県原爆被害者団体協議会副会長を務めるが、これまでは「幼少期の体験で正確な実態を伝えられるか分からない」などの理由から積極的に体験を語ることはなかった。しかし、被爆者の高齢化や核兵器が無くならない世界に危機感を覚え、証言を決心。「平和維持のために核兵器が必要という考えは間違いだ」と訴えた。

舘脇義範さんにまつわる手紙を受け取り、当時の出来事に耳を傾ける小田島頌子さん(左から2人目)ら遺族=北上市村崎野

戦死の父にまつわる手紙届く 北上

 飯豊村村崎野(現北上市村崎野)出身の舘脇義範さんに関する手紙は、家族から陸軍歩兵連隊大隊長だった伊東孝一さん(98)=横浜市在住=に宛てられた。1945(昭和20)年に義範さんの死を伝える手紙を送った伊東さんに、義範さんの父の故安太郎さんと妻の故スミさんが返信したとみられる。

 手紙は今月上旬、青森県深浦町の報道写真家浜田哲二さん(55)らが義範さんの孫で北上市村崎野の舘脇佐江子さん(57)宅に届けた。

 浜田さんは家族からの手紙356通を保管する伊東さんの「愚かな戦争を繰り返してはいけない」との思いを受け、2017年から遺族への返還を開始。356通中49通を届けた。宮古市和井内出身の泉山実雄さんに関する手紙もあるが、遺族は見つかっていない。

 活動はボランティアで展開しており、参加する学生の資金を募るクラウドファンディングも行っている。浜田さんは「戦争は待っていた家族に残酷だった。亡くなった一人一人を思い、活動を続ける」と誓う。

 クラウドファンディングのURLは(https://a-port.asahi.com/projects/1962-1103/)。