Vol.1 スペシャルインタビュー 
フォトジャーナリスト安田菜津紀
Vol.2 牡蠣漁師 佐々木学
Vol.3 キャッセン大船渡
大船渡駅周辺地区タウンマネージャー 臂徹
いわての浜暮らしセミナーin東京
(開催情報)
Vol.1 スペシャルインタビュー 
フォトジャーナリスト安田菜津紀

 人はさぞかし海を恨むだろう―。フォトジャーナリスト安田菜津紀さん(30)の想像は覆され、港には人の姿があった。東日本大震災の津波により破壊された風景の中で、使える漁具を必死に探す人を何人も見かけた。「あれだけ人の命を奪った海に、なぜ人は戻っていくのか」と不思議に思った。安田さんは、あれからずっと、陸前高田に通い続けている。

 澄んだまなざしで世界の現状を見つめ、シャッターをきる。安田さんは、東南アジア、中東、アフリカや日本国内で貧困や災害の取材に取り組んでいる。

 高校生の時に「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアを訪れた。現地で友だちが増えるにつれ「遠い国の問題だった貧困やその先の人身売買などの問題が、私とあなたという友だちの問題に変わっていった」と言う。出会いや経験をくれたカンボジアの人に、自分は何を返せるかを自問し「私には子どもたちを毎日おなかいっぱいにしてあげることはできない。起こっている戦いを止めることもできない」と悩んだ。考え抜いて出した結論は、自分が感じてきたことを多くの人に伝えるというもの。執筆活動を始めたが、興味のない人に長い文章を読んでもらうことの高い壁に直面した。そんな時、同級生が自分が撮ってきた写真に興味をもってくれた。「写真は、これはなんだろう、という興味の最初の扉を開いてくれると気付いた。まず、0を1にすることができると思った」と回想する。

 諸外国で取材を展開していた安田さんが岩手県にやってきたのは、陸前高田市に夫の両親が暮らしていたから。東日本大震災で壊滅的な被害を受けた陸前高田に、義理の両親を捜索する形で足を踏み入れた。「生きてどこかで避難していてくれているだろう」という淡い希望は、決定的に破壊された町を目の当たりにして「生きていてくれたら奇跡だ」という思いへ変わった。被災地を伝えようとカメラを持参したものの「シャッターをどうきったらいいのかわからなかった」と、写真はほとんど撮らなかった。陸前高田で避難所を回り、不足している物資の供給などに奔走するうちに、多くの人と巡り会った。「写真を撮って何になるんだろう。カメラを向けることで誰かを傷つけるかも知れない。いろいろな現場を訪れてきたが、生活のほぼ全てが失われ、これだけ大勢の人が一度に亡くなるという現場は初めて」と、自分自身の中にも大きな悲しみと戸惑いが生まれた。

 電気も通らず骨組みだけになった作業場で、全て手作業でカキの養殖に取り組む人たちに出会った。作業をする浜の人たちには「大変なはずなのに悲壮感がなかった。ようやく居場所に戻ってきたというような輝いた表情だった」と振り返る。

 その後も定置網船に乗ったり、大漁だからとサケをおすそわけしてもらったりと、浜の人々との交流は続いていく。「東日本大震災前は食べ物を買ったことなんてなかった。海のものも山のものもおすそわけとしてまちの中で循環していく」と地元のお年寄りから教わり、安田さんは「このまちが、いかに海と共に呼吸している場所なのかわかった」と、人々が海に戻っていく理由が腑に落ちた。

 取材の中で漁師に言われた言葉がある。「命を獲っている分、命を懸けて仕事をしている」。危険を伴い、自然の厳しさとずっと向き合っている人のそばにいさせてもらうという尊敬と感謝の念を込め、猛勉強の末、船舶の免許も取得。岩手の漁師たちを驚かせた。

 「三陸に行く前の私は、例えばカキが食卓に届くまでにこんなに多くの苦労を伴っていると想像したこともなかった」と安田さん。実際に訪れた養殖の現場には、驚くほどの手間暇と熱意があふれていた。「命をいただきながら生きていると実感できる。この世界に自分も一つの生命として存在していることを教えてくれる場所」と岩手の浜への感謝を語る。「沿岸の誰もが日常を取り戻すには、先はまだ長い。この場所に人が来続けることが復興につながる。このまちの魅力に触れたいと思う人が増えてほしい」と、自然や人、その二つをつなぐ地域の祭りなどを伝え続けていく。

 中学生や高校生を対象とした三陸でのスタディーツアーでは、参加した子どもが「海のそばのまちは怖いだけの場所じゃないとわかった。ここが好きになった」と言ってくれた。全国から来る子どもたちの中には新鮮な海の幸のおいしさを知らない子もいる。「自分は生魚は嫌いだと思っていたが、獲れたばかりの魚はおいしい」と驚く姿も見られる。安田さんは「自然に近い暮らしをしている場所では、食べ物のあり方が違う。ボランティアで訪れるのも良いが、次は岩手の浜にはこんなにおいしいものがあるよ、と発信してほしい」と願っている。

 浜には、食の魅力があふれている。そして、その「おいしい」をつくっている人の魅力があふれている。安田さんから「シリアは暑い国だと思われがちだが、冬は寒い」という話を聞いた陸前高田の人たちは、シリアの子どもたちが無事に冬を越えられるよう、物資を届けた。世界中の温かい支援で少しずつ日常を取り戻している浜の人々は、感謝の気持ちを忘れない。安田さんは「大きな悲しみは優しさとなって、海をも越えるのだと知った。岩手の浜とそこに暮らす人たちは私の心に何事にも代え難い財産をくれた」と三陸への愛を語る。

 「陸前高田だけでなく、岩手の浜にはみんなその浜にしかない個性がある」と安田さん。内陸に行けば米や野菜があり、雪の下では次の命が芽吹いていく。「岩手は四季がくっきりしている。季節によって海の色も違う。私の写真を見た人に、写真を通して私がであったものとであってほしい。そして興味を持ち、実際足を運んでもらいたい」。この浜にしかない輝きを、安田さんはこれからも切り取り続ける。

 安田菜津紀 1987年神奈川県生まれ。Studio AFTERMODE所属のフォトジャーナリスト。東南アジアやアフリカなどで貧困や災害について取材を行う。東日本大震災以降、岩手県陸前高田市を中心に、三陸の様子を撮影し続けている。2012年に「HIVと共に生まれるーウガンダのエイズ孤児たち-」で第8回名取洋之助写真賞を受賞。

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Vol.2 牡蠣漁師 佐々木学

 ぷりっとした大粒のカキは、まるで胸を張るようにキラキラと輝いている。

 陸前高田市でカキの養殖を手掛ける佐々木学さん(33)は「米崎という土地でつくられるカキは本当に品質がいいもの」と言う。

 佐々木さんが働く脇ノ沢漁港は陸前高田市米崎町にある。「米崎牡蠣」という名前は、その浜の誇りの現れだ。「もちろんカキは自然の恵みではある。しかし、養殖であるからには人の手間暇がつまっている」と佐々木さん。浜で生きる先代たちが苦労を重ねて編み出した養殖の技や築いてきたブランドに敬意を表し、カキにはあえて地域の名前を付けた。「ここにいる、米崎の浜の人たちがやってきた、やっているという意味を込めている」と自信をのぞかせる。

 佐々木さんは米崎を「手間を惜しまず働く地域性」と評する。夏には浜の生産者全体で、広田湾のムール貝の取り除き作業を行う。湾内で質のいいカキが育つために、みんなで力を合わせる。この浜の人々は、自らが育てる海産物だけではなく、生きている土地にも誇りを持っている。

 2、3年という長い時間をかけてじっくり大切に育てられる岩手県産のカキは、身も殻も大きい。飲食店などでも使用されており、独特な味わいのとりことなったファンが全国に大勢いる。「おいしい」の言葉は喜びとやりがいにつながり、カキへの愛情はさらに深くなる。「手をかければかけるだけカキは応えてくれる。手抜きはしない」と言う。朝が早く、冬場の作業は寒さで手がかじかむなど苦労もあるが、良質なカキを育てるためには一切の妥協を許さない。季節に合わせてやるべきことを変えながら、作業は一年中続いていく。カキにたっぷりと愛情を注ぐからこそ「艶のある大きなカキができると本当にうれしい」という。

 カキの養殖をなりわいとしている父の背中を見て育った佐々木さん。海に親しんで育ち、幼い頃から漁業に従事したいと思っていた。「よく魚釣りをして遊んでいた。海には、良い思い出がたくさんある」と振り返る。今、自身も3人の子どもの父となり、さらに仕事に精が出る。「大量生産ではないけれど、品質が良いものをつくっている自負がある。子どもたちにも、パパはこんな仕事をしているんだ、と胸を張ることができる」と自らの父のように、子どもたちに頼もしい背中を見せていく。

 陸前高田は、東日本大震災で壊滅的な被害を受けた。しかし、佐々木さん親子は、震災の3日後にほぼ無傷の船をがれきの中から見つけ出した。「奇跡だった」と振り返る。しかし、すぐに気持ちが前を向いたわけではない。「気付けば、がれきの中から使えそうな漁具を探している自分に気付いた。奇跡的に見つかった船の存在にも背中を押され、やるしかないんだ、と自分自身を鼓舞した」と少しずつ海へ戻っていった。電気が通らない小屋で、仲間たちと手作業でカキの養殖を再開。会話に花を咲かせながら作業を続ける浜の人たちの姿が、うれしかった。確実に、一歩ずつ前に進んでいるのだと感じた。「浜の元気は、地域の元気につながっていく。だからこれからも、良質な米崎カキをつくって届けたい」と笑顔を見せる。山や川などから運ばれる三陸の海に流れ込む水は養分が豊富。良質な漁場という舞台で漁師たちが一生懸命働くことで、食卓にはおいしい海の幸が届く。

 佐々木さんは、漁業に従事することのメリットに「家族が近い」ことを挙げる。「家族経営に近い形態をとっていることも理由の一つだが、子どもと一緒にいる時間が長い」と感じている。家と職場の距離が近いため、夏休みや冬休みに子どもたちは作業場に来て、佐々木さんが仕事をする横で遊んだり宿題をしたりする。浜の営みは、父から佐々木さんへ、そして子どもたちへと受け継がれていく。大きな背中を追いかけて来た子は、いつしか父と同じほどの背丈に成長し、頼もしい稼ぎ手になる。

 佐々木さんは、未来を担う子どもたちに「海をただ怖いだけの場所と思ってほしくない」と願っている。自身が小さな頃から慣れ親しんできた海の良さを知ってもらおうと、精力的に活動する。自然が牙をむけば、人間はかなわない。しかし佐々木さんは「海を恨んだりはしていない。畏敬の念を持ち、共に生きていくことが大切」と語る。津波で流された自宅は高台に再建。大好きな海のそばで、これからも大切な人たちと生きていく。「この場所にはこんなにもたくさんの誇れるものがあるんだと伝えていきたい」と佐々木さん。栄養価が高く、クリーミーな味わいの自慢のカキで、これからも浜の魅力を発信し、浜の元気を支えていく。

 佐々木学 1983年岩手県生まれ。陸前高田市の佐々木商店でカキの養殖を行う。陸前高田の水産業を盛り上げるため、漁師体験ツアーや首都圏の飲食店への直卸しなどにも取り組んでいる。

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Vol.3 キャッセン大船渡
大船渡駅周辺地区タウンマネージャー 臂徹

 東日本大震災の大津波によって壊滅的な被害を受けた大船渡市大船渡町の中心商店街が今春、6年余を経て新しい商業エリアに生まれ変わった。「100年先のまちづくり」に取り組む、キャッセン大船渡のタウンマネジャー、臂(ひじ)徹さんは「災害にひんする日本において歴史をひもとくと、保存すべきはハードそのものではなく、まち全体の文化、歴史、再建しようと思うエネルギーだ」と、未来を見つめるまなざしに情熱がにじむ。

 商業エリアはJR大船渡駅周辺地区の津波復興拠点区域(約10・4ヘクタール)のうち、商店街区は「キャッセン大船渡」と「おおふなと夢商店街協同組合」が整備。「キャッセン・モール&パティオ」「キャッセン・フードヴィレッジ」「おおふなと夢商店街」の三つの街区で構成し、物販、飲食、ライブハウスなど合わせて47店舗が出店している。被災して仮設商店街で経営を続けてきた地元の店が入居したほか、新規出店も多く、多彩な顔ぶれとなった。

 どのような形で商売し、相乗的な魅力を創出していくか。2015年にタウンマネジャーに就任した臂さんは「震災後ずっと仮設、仮設で来た中で、恒久的な中心市街地をつくることとどう折り合いをつけ、再建することが望ましいのか、地域の人たちと議論を重ねてきた」と計画策定までの道のりを振り返った。

 「キャッセン」は、「いらっしゃい」を意味する気仙地方の方言だ。楽しむ、遊ぶ、集う、つながる、みんなで育てるあたらしいまちを目指す。キャッセン大船渡の事務所に隣接したコミュニティースペースや広場は市民に開放され、週末を中心にさまざまなイベントが開かれている。「子どもたちが遊んでいる間、親世代や祖父母世代がカフェで過ごしたり、買い物をしたり。多世代で関われる機会をつくるのが最も望ましい」という。

 自然と溶け込んだ潤いあふれる空間をデザイン。「レンガのモール(遊歩道)は、川向かいの飲食店の方まで視界が抜ける。そのまま遠くの山並みや空につながっていくような眺めを意識してデザインした」と臂さん。商店街のストリートは季節の草花が飾られ、円形の緑の広場には白いベンチが置かれている。川辺の親水広場は川に飛び石を置いて対岸に渡れるようにした。

 エリア周辺部は今もトラックが行き交い、復興のつち音が鳴り響いている。新たなまちの未来をつくる希望の音だ。「これから新たな地域がつくられるのを間近に体験できる世代はそう多くない。今のこのまちが、子どもたちの原風景になる」。復興地の商店街だからこそできること。地元学を学ぶ高校生がいる。商店に話を聞きに来る小中学生がいる。「学校を含めて大人たちがうまく地域とつなぐ姿勢をもっているのが素晴らしい。将来、大船渡に戻りたいと思う人が増えてくれれば、まちづくり会社としても大変ありがたい」と笑顔を見せる。

 いったんは何もなくなった場所で生業に積極的に取り組む。その地をならし、種をまき、発育のための手立てをいかに効果的なものにするか。「目先の集客、売り上げも大事だが、俯瞰的に広い視野で物事を見る感覚を研ぎ澄ませておかないと大切なものを見失ってしまう」。100年先のまちづくりを掲げるのは「戒めとして」と背筋を伸ばした。

 群馬県出身。祖母が東山町出身で同町に小さい頃から度々訪れ、近くに宮沢賢治が勤めていた採石場があった。賢治の「装景手記」にある一節を心に刻む。「この国土の装景家たちは この野の福祉のために まさしく身をばかけねばならぬ」。臂さんは「自分自身が、身を粉にして使命感をもって働きたいという気持ち」で震災をきっかけに来県し、大槌など沿岸被災地でまちづくりに携わり大船渡へ。

 気持ちを切り替えたいときは登山をする。大船渡市の今出山から見下ろすまちは、大船渡湾が一望でき、右手にキャッセン大船渡がある大船渡地区、左手に赤崎地区。半島の山の稜線が折り重なり、グラデーションが美しい。「災害の歴史や交易の歴史などを俯瞰的にみる感覚になり、まちに対しての愛着が高まる」と話す。海に下りればマリンスポーツを楽しめる。資源同士を結び合わせると他の地域では得難い体験ができる。

 震災から6年半が経過し、つながりの形を変えるタイミングが来ていると感じる。臂さんは「大船渡は面白いことやっているいいまち。つながりにも前向きだ。言葉だけで価値は伝わらないので一度足を運んでほしい」と呼び掛け、「足を運ぼうという理由を生み出せるかどうかはこちら側の責任、そこはこれからも頑張っていきたい」と決意を新たにした。

 臂 徹(ひじ・とおる) 1980年、群馬県生まれ。まちづくり会社「キャッセン大船渡」取締役・大船渡駅周辺地区タウンマネジャー。専門は都市計画・景観計画。現在の大船渡での役割は主として、大船渡駅周辺地区の街区や公共施設に関する景観などのデザインと、土地の利活用の計画づくり、エリアマネジメント事業の立案など。

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「いわての浜暮らしセミナーin東京」

【日時】
平成29年10月22日(日)
13時30分~16時30分

【会場】
国立大学法人
東京海洋大学 白鷹館

【内容】
第1部  ■現況説明
    ■地域紹介
    ■ディスカッション
第2部  ■相談会

【主催】岩手県
【お問い合わせ先】
岩手県沿岸広域振興局水産部
TEL:0193-38-0123 
FAX:0193-23-7100
E-mail:bi0004@pref.iwate.jp