C平和願う「世界無双」 2004年7月28日

 世に並ぶもののないものを「無双」という。

 平泉の奥州藤原氏初代清衡が、平和のために発願(ほつがん)し、1126年に完成させた紺紙金銀字交書一切経(こんしきんぎんじこうしょいっさいきょう)ほど、「無双」にふさわしいものはない。

 中尊寺建立供養願文(こんりゅうくようがんもん)のなかにも

 「二階瓦葺(かわらぶき)の経蔵一宇/納め奉(たてまつ)る、金銀泥(でい)一切経一部」

と高らかに記された。

 一切経とは仏教の聖典すべてのこと。5000−6000巻に及ぶ。

 まず、手本となる一切経を入手する必要がある。

 次いで紺に染めた紙に金泥、銀泥で一行おきに経文を書写する。それを5000巻以上。膨大な費用と手間がかかる。権力者といえども、誰もができるものではない。

 清衡の独創

 清衡以前、白河法皇(1053−1129年)が紺紙金字一切経を、わが国で初めて完成させた。

写経の”跡”
江刺市岩谷堂増沢地区にある益澤院跡の石碑。近くからことし5月、藤原氏の時代のかわらけが出土した

 法皇の一切経の荘厳に、みな驚いた。

 清衡は金字に銀字を加える独創で、世界無双のものにした。

 金銀字経の場合、一切経は約5300巻。そのうち中尊寺には大長寿院に15巻があり、その一部の複製を讃衡蔵(さんこうぞう)で公開している。

 残りの大半は高野山金剛峯寺(こんごうぶじ)(和歌山県)が所蔵する。

 1598年、豊臣秀吉の命で平泉から奪われ、秀吉の母の菩提寺である現在の金剛峯寺に納められた。

 東北にとって無念としかいいようがない。

 金銀字経と、三代秀衡が完成させた紺紙金字一切経(秀衡経)、紺紙金字法華経(以上国宝)を中尊寺経という。

 伝承と真実

一切経奉納
金色堂の西北に建つ中尊寺経蔵。中尊寺建立供養願文には「二階瓦葺」とあるが、建武4(1337)年の火災後、古材を使って再建されたという。かつては中尊寺経が納められていた

 中尊寺経に関連し、私のかかわった二つのエピソードを述べたい。

 一つは“経蔵棟札”のことだ。

 1992年夏、県立博物館学芸調査室で一課長の大矢邦宣(くにのり)さん(現平泉郷土館館長)が小さな声で話しかけてくれた。

 「中尊寺にある日本最古の棟札から『藤原清衡』の墨書名が出たよ」

 棟上げの時、工事の年月や建築者の名前などを書き、棟木に打ち付けるのが棟札。

 保安3(1122)年という年号と「女壇平氏」という清衡妻の名前などが既に解読されていた。それ以上の情報の有無を、中尊寺から依頼を受け、博物館が調査していた。

 大矢さんと同館の時田里志さんは、赤外線テレビカメラで清衡の名前を突き止めた。清衡夫妻が施主だった。

 岩手日報は1992年8月19日付朝刊一面、社会面で大々的に報道した。

 経蔵棟札と伝えられてきたが、どの建物の棟札だったのか。記載は無かった。

 大矢さんは、著書「奥州藤原氏五代」(2001年河出書房新社)で、棟札墨書の干支(えと)「壬寅(みずのえとら)」を「火の生ずる寅を壬(水の兄)」で防ぐ火防のまじないと読み、火に最も弱い中尊寺経などの経典が納められた経蔵棟札−とみた。

 伝承は真実に近いと思う。

 もう1つが金銀字経を写経した寺院のこと。

 高野山蔵の金銀字経大般若経(だいはんにゃきょう)巻第三十奥書に「奥州江刺郡益澤院(ますざわいん)で修行僧堯暹(ぎょうせん)が執筆した」とある。総指揮を執ったのは中尊寺経蔵文書によると「自在坊蓮光」。

 その益澤院は、今の江刺市岩谷堂増沢(ますざわ)にあったという。

 今年5月、増沢の新地野道下遺跡で発掘が行われた。現地に行った。

 狭い範囲の調査なのに、使い捨て盃(さかずき)・かわらけのささやかな破片が出土していた。

 かわらけは、平泉柳之御所遺跡から10トンも見つかっている。

 柳之御所と共通する時代の遺物。

 益澤院の存在が一層現実味を帯びた。

 中尊寺経の不朽のきらめきは、現存する史料として、平泉の精神と、奥羽に生きた人々の歴史を今も語る。


 語る みちのくの遺産 詩人・北川れいさん

 過去と現世結ぶきずな

「静寂な空間は地霊の存在を感じさせてくれます」と平泉の特性を表現する北川れいさん

 −詩集「蓮台野(れんだいの)」をはじめ、平泉を題材にした作品が多い。どこに魅力を感じるか

 中尊寺も、毛越寺も、静かな空間を歩くと、昔の人々と今の人々の強いつながりを覚えます。蓮台野は金色堂の奥にあり、埋葬地と考えられています。金色堂で手を合わせることは、蓮台野に眠る人々の魂にも合掌することになるのです。以前、草を刈り払いながら案内していただき、訪れたことがありました。平泉は滅んだかに見える人々やものが、今もしっかり生きている地ですね。

 −作品「帰郷」では、藤原泰衡の首をよんでいるが

 泰衡の首は、平泉に帰り、父である秀衡のそばに葬られました。いったい、だれが葬ったのでしょうか。親子のきずなの強さ、人と人のつながりの大切さを今の私たちにも教えてくれて、心を打たれます。

 −藤原四代の生き方をどう受け止めるか

 遺体はミイラとなり、訪れる人々が合掌しています。いにしえの人と現世の人を結ぶ強いきずなであり、初代清衡の思いがかなったといえるでしょう。平泉は悲しく、美しく、無残な歴史を残していますが、その地には人々が元気で生きており、残されたものに力があるのが平泉です。

 −世界遺産登録で、何を大切にすべきか

 平泉は、畏怖(いふ)を私たちに教えてくれる地です。平泉の文化遺産は黄金の小函(こばこ)や仏像などの「見えるもの」と、中尊寺建立供養願文の精神のように「目に見えないもの」があります。遺産から受ける畏怖の念を後世に伝えるためにも、教育と祈りが大切になってくるでしょう。 

(聞き手は一関支社 達下雅一)

文・学芸部 中村紀顕  写真・一関支社 高橋照雄




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