〈36〉エピローグ 世界遺産への道しるべ 2007年3月28日


平和の大地

束稲山方向から見た平泉町全景。後方は冠雪の栗駒山。平泉藤原氏が思い描いた理想郷の夢を記憶する。平和の大地は世界遺産にふさわしい

 新たな歴史の出発点

 日本政府が、パリの国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界遺産センターに提出していた「平泉−浄土思想を基調とする文化的景観」の世界文化遺産推薦書は、昨年12月26日、正式に受理された。

 平泉藤原氏の「思想」が政府に認められ、ユネスコに発信された。誉れは、輝かしい。

 21世紀冒頭の2001年4月、暫定リストに登録された。以来5年、着実に歩んだ成果だ。

 平泉町柳之御所遺跡発掘に端を発し、調査と保存、整備を見詰めてきた人たちの感慨は深い。

 遺志たどる

 道半ばにして、世界遺産本登録を見ることなく亡くなったゆかりの人々の遺志を思う。彼らが愛し、文化遺産の中心をなす平泉をあらためて歩いた。

 南の玄関口、毛越寺。大泉が池を中心とした浄土式庭園を、ゆっくり周回した。

 池の中島で、1995年7月、シンセサイザー奏者星吉昭(よしあき)さん(04年、58歳で死去)の「姫神」が、法楽(ほうらく)会(え)を行った。

 演奏は、常行堂修理の完工を祝うものだった。暮れかかる庭園。髪を後ろで束ねた星さん。風とともに流れた調べを思い起こす。

 毛越寺を愛した星さんの音楽は、世界遺産登録支援の番組や、フォーラムで多く奏された。

 平泉の政庁・柳之御所遺跡に立つ。かつて数多くあった発掘坑(こう)は埋め戻され、厚い盛り土の中央に、池が姿を現していた。

 この現場で、平泉遺跡群調査指導委員会の草間俊一(しゅんいち)(97年、81歳で死去)、藤島亥治郎(がいじろう)(02年、103歳で同)、清水秀澄(しゅうちょう)(中尊寺・2000年、86歳で同)、藤里慈亮(じりょう)(毛越寺・02年、86歳で同)の各委員、県教委文化課(当時)の小田野哲憲(てつのり)さん(04年、57歳で同)らを何度も取材した。

 彼らの声も今はない。が、大きな足跡は遺跡に確かに残っている。

 中尊寺月見坂を上った。藤原氏初代清衡(きよひら)が、高らかに唱えた中尊寺建立(こんりゅう)供養(くよう)願文(がんもん)の精神が、参道に満ちる。

 以前の記述を繰り返す。願文の「諸仏(しょぶつ)摩頂(まちょう)の場(にわ)」という文言のことだ。

 千田(ちだ)孝信(こうしん)中尊寺前貫首(現栃木県日光市観音寺名誉住職)が解釈を教えてくれた。以後、込められた慈愛を自分なりに考えられるようになった、と思う。

 「中尊寺の諸仏が訪れた人たちの頭をなでる(摩頂)。−つらいこと、苦しいこともあったろう。よく我慢してここまでやって来た。今は休みなさい。これからも大変なことがあるかもしれない。耐えるんだよ−。そういうお山(寺)に清衡公はしたかった」。千田前貫首は明快だった。

 世界に誇る

 町を一巡。文化遺産にそぐわないと、古都保存の専門家の多くから指摘を受けた鉄塔や看板が目に付いた。

 これら「負の景観」を今後、100年かけるつもりなら修復できよう。

 12世紀、藤原氏は平泉を100年かけて築いた。

 清衡の創業、泰衡(やすひら)の存亡、藤原4代御遺体学術調査、昭和の金色堂解体大修理、そして柳之御所遺跡保存。

 困難に直面した時々に決断を下した人々の「本当に、このままでいいのか」との問いかけと、その後の実践をなぞると、景観の修復をできないわけがない。

 さて、藤原氏の時代とは前九年、後三年、源平、奥州それぞれの合戦が、湯が沸き立つように日本を巻き込んだ争乱の世であった。

 正義が誰にあったのか、は問うまい。

 修羅(しゅら)をくぐった清衡以降、浄土都市を現出させた藤原4代の、平和への希求を忘れるべきではない。

 非戦と平和を誓った中尊寺建立供養願文、藤原氏の思想を凝縮した国宝第1号金色堂。これほどの遺産は世界に類例がないだろう。

 1994年、世界文化遺産となった「古都京都の文化財」、暫定リストには平泉より9年早い92年に登録され、本登録を目指している「武家の古都鎌倉」、そして平泉。3都が再び輝きを増している。

 貴族から武家へ。支配体制の移譲をもたらし、画期的な地方の時代を招いた平安−中世の日本は、この3都の指導者の決断で進路が決まった。

 われわれは、平泉を初めとした3都の物語る歴史と文化の継承を、刮目(かつもく)したい。

 なぜなら、世界文化遺産登録は、終着点ではなく、そこから新しい歴史が始まるからだ。

 出発点に立ったわれわれは、真っすぐに走りだし、次代へたすきをつなげていきたいと思う。

 平泉の栄耀(えいよう)を「記憶」から、より確かなものにするために。

 (終わり)

 語る みちのくの遺産 平泉郷土館館長 大矢 邦宣(くにのり)さん

 「浄土の一員」自覚を

 −平泉文化遺産の特色を。

 今までの世界文化遺産は、アンコールワット(カンボジア)のような壮大な遺産にしても、過去の遺物であり自分の日常とは関係なく、見物しに行く場所だ。

 平泉は全く逆。現に人々が浄土思想に基づいた文化的景観の中で暮らしている生きた遺産だ。中心をなすコアゾーン(中核地域)がその空間にあることに意味がある。

 平泉は浄土庭園のすぐそばに御所が置かれるなど日常空間と信仰空間が一体となっている。日常即浄土は日本仏教最大の特色でもある。

 −世界遺産登録に向けた課題は。

 本登録まで残り1年半あまり。看板の撤去など、できる範囲の景観形成は進んできている。

 だが、平泉は町全体が遺跡。今までの調査はコアゾーンが中心だったが、それを取り巻く2次的な空間を含めて浄土景観としての一体感が求められる。

 昨年の国際専門家会議で指摘された金鶏山の鉄塔ばかりではなく、あらゆる構造物を次に手をかける場合には浄土景観にふさわしいものにする努力が大切。50年後、100年後を見据えた息の長い取り組みが必要だ。

 −世界遺産登録を迎えるわれわれの心の備えはどうあるべきか。

 一番大切なのは自分が浄土の一員である自覚を持つことだ。浄土はいやしの空間、安らぎの空間であり「幸あるところ」が本来の意味だ。

 如来(にょらい)は悟りを開いた仏だが菩薩(ぼさつ)は修行中の身。浄土は如来の浄(きよ)められた地であるとともに、菩薩が浄めることを求められている地でもある。

 われわれは菩薩の心で訪れる人々をもてなし、日々を過ごしたい。それが藤原3代が願った浄土の実現につながる。

(聞き手は論説委員 小笠原裕)

【写真=「自らが浄土の一員である自覚を持ちたい」と話す大矢邦宣さん=盛岡大学】

文・学芸部 中村紀顕  写真・一関支社 高橋照雄



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