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42.蝦夷とは
朝廷に従わぬ東の人々

 阿倍(安倍・阿部)の姓は、もともとは奈良県桜井市阿倍に由来し、阿倍氏は大和朝廷の時代以来の名族であった。伝承の上では、阿倍氏の祖先は孝元天皇の皇子・大彦(おおひこの)命(みこと)の子・建沼(たけぬな)河別(かわわけ)とされ、阿倍氏からは阿倍比羅夫など、北陸や東国の経営にかかわった人物が輩出している。

 このようなことから、阿倍氏と主従関係を結ぶようになった北陸や東国の豪族も少なくなく、やがて、これらの豪族も、阿倍(安倍)と名乗るようになっている。岩手の安倍氏も中央の阿倍氏が地方官として赴任した者の子孫、または移民として東北に来た北陸・東国の阿倍氏の系譜を引いている可能性が高い。

 清原氏については、出羽の地方官として赴任した京都の清原氏に属する人物の子孫である可能性が高い(第41回参照)。また、清衡の実父・藤原経清が秀郷流平泉藤原氏の出であることも疑いがない。

 系譜の上ではこのような存在である安倍氏・清原氏・平泉藤原氏がなぜ蝦夷とみなされていたかについては、多年にわたって蝦夷系の豪族と婚姻関係を結んできたために、蝦夷の血が濃くなっていたからだと説明されることがある。それが一面の事実であることは確かであるが、男系の系譜を重んじてきた社会のことであるから、これだけで説明が尽くされているとは言い難い。

 そこで角度を変え、蝦夷(平安時代中期まではエミシと読み、その後エゾと読むようになった)という語の意味をさぐってみることにする。

 ○凱旋の歌に

 蝦夷という語のもっとも古い用例は『日本書紀』の神武天皇の条中の、天皇が大和の橿原で即位するに先立って磯城(しき)(大和の地名)の族長たちと戦った時、天皇の軍が歌ったとされる歌のなかに見える(注1)。「エミシ」とは1人でも100人を相手にするほど強い人たちだというが、実際に戦ってみるとそれほどではなかったという意味で、自軍の強さとその勝利を讃(たた)える内容である。この歌は『万葉集』に収められている最古段階の歌よりも古い様式だといわれ、5世紀から6世紀のもので、これが「神武紀」に挿入されたのは、出陣や凱旋(がいせん)の雰囲気がよくでているからであろう。この歌のなかの蝦夷は、天皇に服従しない大和の豪族をさしている。

 景行天皇の皇子・ヤマトタケルのミコトの物語では、天皇に服従しない蝦夷を討つ話が主要なテーマとなっているが、ミコトの遠征先は主として中部・関東地方である。

 これらの用例の蝦夷は、東北や北海道の住民ではない。蝦夷という語の本来の意味は、天皇(朝廷)に従わない東方の人々、すなわち「まつろ(服)はぬ」人々ということなのである。

 中国の場合でも、夷狄(いてき)という語は皇帝に従わない者(本来は従うべきなのだが)という意味で用いられることがあった。中国の南北朝時代は、南朝が漢民族、北朝が(漢民族から見て)異民族の皇帝が支配者であった。この場合、南朝から見て北朝が夷狄の政権であることは当然なのだが、北朝から見た場合は、南朝の皇帝が夷狄なのである。

 北魏(鮮卑(せんぴ)族が建てた王朝。はじめ大同、後には洛陽に都を置いた)王朝の歴史をまとめた『魏書』を見ると、その「列伝」第85・86はそれぞれ「島夷(とうい)桓玄・海夷馮跋(ふうばつ)・島夷劉裕」「島夷蕭道成・島夷蕭衍」と題されている。桓玄は東晋を滅ぼして楚を建て皇帝と称したが劉裕に殺された人物、馮跋は北燕を建てた漢人で北魏に圧迫され南朝宋に入貢した人物、劉裕は南朝・宋の武帝、蕭道成は南朝・斉の太祖、蕭衍は南朝・梁の武帝のことである(注2)。

 ○頼朝の追討

 日本の例にもどると、寿永2(1183)年5月、木曾義仲は越中の砺波山で平維盛(これもり)を破ると一気に京都に入ったが、統率を欠いた義仲軍は京都で人心を失ったといい、7月には都落ちしていた後白河法皇から平氏の追討を命じられて都を去った。この間に法皇は源頼朝に対して義仲の追討を命じた。義仲は激怒し、法皇の御所を攻撃して法皇をとらえ、法皇に頼朝追討の院宣(いんぜん)を強要した。そして義仲は寿永3(1184)年1月には征夷大将軍に任命されている。この段階で朝敵とされ、朝廷の支配に服しない者とされた頼朝は、征夷大将軍に征討されるべき蝦夷とみなされたのである。

 安倍氏・清原氏・平泉藤原氏が蝦夷とされた理由は、このあたりから解けてきそうである。

 【注1】「夷(えみし)を 一人 百(もも)な人 人は云(い)へども 抵抗(たむかひ)もせず」

 【注2】中国の正史は、「列伝」の最後のほうに周辺の夷狄に関する記事を置く。『三国志』「魏志」の「列伝」の最後に「烏丸(うがん)・鮮卑・東夷伝」があり、それに邪馬台国のことが記されているのも、その一例である。

【写真=『魏書』「列伝」第85・86の冒頭部分=中華書局版『魏書』より】


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