15.百済王敬福
大仏造営に黄金を献上

 奈良時代の半ばの陸奥(むつの)守(かみ)に、百済王(くだらおう)敬福(きょうふく)(王はコニキシとも読まれていた)がいる。藤原・大伴などとくらべると、大変にかわった姓であるが、これは敬福の祖先が古代朝鮮3国のひとつ、百済国の王族であったことに由来する。

 大和朝廷の時代、朝鮮半島では高句麗(こうくり)・新羅(しらぎ)・百済の3国が並び立っていた。しかし百済は660年に、高句麗は668年に、唐と新羅の攻撃をうけて滅亡した。大和朝廷は古くから、とくに百済と友好関係にあったため、百済が滅亡をむかえた時、救援軍を朝鮮半島に派遣して百済の再興をはかったが、663年の白村江(はくすきのえ)の戦いで、唐・新羅の連合軍に大敗し、百済国の人々が多く日本に亡命した。そして百済の義慈王(ぎじおう)の子、善光(ぜんこう)は百済王の姓を与えられ朝廷の貴族の一員に加えられた。敬福は善光の曾孫である。

 敬福は多賀城を創建した大野東人(あづまひと)のもとで次官(陸奥(むつの)介(すけ))をつとめた経歴を有し、東人の後をうけて奈良時代中期には、朝廷の東北地方支配の責任者をつとめた。詳細は不明であるが、敬福が鎮兵制度の改革を行ったという記録もある。

 高級貴族に

 都では、東大寺の造営工事が進行中であったが、大仏に塗金するための金の不足が問題となっていた。敬福は天平21(749)年に、陸奥国小田郡から金が産出したとして黄金900両を献じたのである。古代の制度の1両は、37・5グラムにあたるというから、900両は約3・4キロになる。聖武(しょうむ)天皇は大変に喜んで光明皇后、皇太子(阿倍内親王、後の孝謙天皇)以下を伴い、東大寺大仏に詣でてこのことを報告し、年号も天平から天平(てんぴょう)感宝(かんぽう)と改めるなど、国家的な慶事として大々的に祝われたのである。敬福はこの功績により従五位下から8階級特進して従三位に昇進し、高級貴族の仲間入りを果たした。また、関係者にもそれぞれ授位などのことがあった。

 金を獲(え)た人(第一発見者)は上総国の人、丈部(はせつかべ)大麻呂だったという。丈部の姓は関東から東北南部に多い。敬福が大麻呂の発見を知ると大々的な金の採取を命じ、相当量に達した時に朝廷に献上したのであろう。

 記念の仏堂

 金を産出した小田郡とは宮城県涌谷町周辺のことで、涌谷町の黄金山神社境内には、金の産出を記念する仏堂が建てられた。これが現在の国指定史跡「黄金山産金遺跡」の由来である。遺跡からは「天平」の文字が刻された瓦や宝珠も発見されており、仏堂の屋根を飾っていた軒瓦は、重弁(じゅうべん)蓮華文(れんげもん)軒丸瓦と偏行(へんこう)唐草文(からくさもん)軒平瓦であるが、これは多賀城や陸奥国分寺の瓦と同じ様式で、この堂が公的なものであったことを示している。神社の側(そば)を流れる小川からは、現在も砂金を採取できる。

 この時越中国(富山県)に地方長官として赴任していた大伴家持(やかもち)は任地で「陸奥国より金を出(いだ)せる詔書を賀せる歌」(長歌一首と反歌三首)=『万葉集』=を作った。「すめろぎの、御代(みよ)栄えんと東(あづま)なる、みちのく山に黄金(こがね)花咲く」はそのなかの一首で、黄金山神社境内の歌碑には、古代文学の研究で知られた山田孝雄(よしお)氏の筆によるこの歌が刻まれている。またこの地が黄金初出の地であることを論じた大槻文彦氏の「日本黄金始出地碑」も境内に存する。

 この出来事が陸奥国からは金が出ることを強く意識させることになり、天平勝宝4(752)年には、多賀郡から北の人々は調と庸として、成人男子は4人で1両の金を出すように定められた。これ以前には日本国内で金を産出することはなかったというから、敬福のスタッフのなかには、百済国伝来の、高度な金の採取法を熟知していた人物がいたのかもしれない。天平産金の伝統が平泉の黄金文化につらなるのである。

 敬福の子孫や同族からは奈良時代末の鎮守将軍、百済王俊哲、坂上田村麻呂配下の征夷(せいい)副将軍百済王教雲、平安時代初期の鎮守将軍百済王教俊など、陸奥国と深くかかわった人物が輩出している。

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 【注】▽701年に大宝という年号が制定されたのは、対馬から金が貢上されたことを記念したものであった。しかし間もなく、この産金は偽りだったことが露見している。

 ▽敬福の人となりは、ものにこだわらず、酒色を好み、貧しい者には望外の施しものを与え、ことをよくわきまえ、政事に見識があり、聖武天皇に信任されたという(『続日本紀』)。

【写真=国家的な慶事として祝われた陸奥産金の地に建つ黄金山神社=宮城県・涌谷町】


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