14.大野東人
東北支配の基礎を築く

 坂上田村麻呂ほど有名ではないかもしれないが、奈良時代前半の人、大野(おおのの)東人(あづまひと)もまた、東北古代史上の最重要人物のひとりである。

 多賀城跡に現存する多賀城碑には、東人が神亀元(724)年に多賀城を置いたことが記されている。彼は、神亀元年以前から陸奥(むつ)国にあり、天平10(738)年頃(ころ)までは、確実に按察使(あぜち)兼鎮守府将軍として陸奥国にいた。

 東人は陸奥守だったのであるが、按察使として出羽国の行政も指揮監督する権限を有していた。鎮守将軍は、鎮兵(防人(さきもり)の東北版ともいうべき、関東・中部地方出身の兵士)を指揮統括して蝦夷(えみし)にあたるもので、東人は、東北地方支配の責任者として行政・軍事のすべてに腕をふるったことがわかる(注@)。東人はまた、宮城県大崎市やその周辺に、地域ごとに多賀城の出城ともいうべき多くの城柵(じょうさく)を設置した。鎮兵は多賀城とこれらの城柵に配属されたのである。鎮兵制度の創設も東人の立案であろう。

 多賀城造営

 秋田城(秋田市)の造営も東人の立案と思われる。出羽国には酒田市付近に出羽柵が置かれていたが、これを雄物川河口の秋田村高清水岡に遷(うつ)した(実際は造営)のである。これが秋田城の起源である。

 多賀城は、東北支配機構の要として造営された。神亀元年は、聖武(しょうむ)天皇が即位した年であり、多賀城はこれから本格的に平城京の時代がはじまろうとする時に造営されたことになる。『万葉集』に葛城(かつらぎ)王という皇族が陸奥国に派遣された時、国司のもてなしが十分でないことに激怒したが、采女(うねめ)として朝廷勤務の経験もある女性のとりなしで王の怒りも解けた話が、前(さき)の采女の歌とともに紹介されている(注A)。葛城王は後に臣下となって橘諸兄(もろえ)と名乗り、聖武天皇の信任も厚く、政界に重きをなした人物である。

 『万葉集』には歌の年代は明記されていないが、ほぼ多賀城が置かれた前後のころであることは確実で、王を陸奥へ派遣したのは、新しい東北の要として多賀城が置かれたことと関係する可能性が高い。多賀城の造営を中心とする東北での出来事は、国をあげての政策だったことがうかがえるであろう。

 雄勝の城柵

 東人には、雄物川中・上流域にあたる雄勝村に城柵を築き、移民を導入する計画もあった。そのため天平9(737)年、陸奥出羽両国の兵士、鎮兵のほか、関東地方の諸国から千騎の騎兵を動員し、合計では6000人以上の大部隊を編成しての作戦が実施された。この時には多賀城をはじめとする諸城柵には守備兵を増強して非常事態に備え、多賀城と良好な関係を保っていた蝦夷の族長を起用して、作戦が蝦夷に対する脅威となるものではないことを説明させるなど、周到な計画にもとづくものであった。

 朝廷は、この時には作戦の最高責任者として、藤原麻呂(まろ)(藤原鎌足の孫、不比等の子、藤原氏京家の祖)を持節(じせつ)大使に任命し、多賀城に派遣している。この作戦も、国家的事業と位置づけられていたことがわかる。ただし、この作戦は、雄勝村の蝦夷が協力を拒否したために、成功しなかった。最終的に東人が雄勝村への突入を見送る判断をしたのである。雄勝城の造営は、次の世代への課題として残されたのであった。

 なお、和賀地方の族長、和我君(わがのきみ)計安塁(けあるい)が起用されたのもこの時のことであるが、それは雄勝に城柵を築くことが、側面から岩手県方面の蝦夷に圧力をかけることをも目的としたものであることを暗に物語っている。

 東人は、天平11(739)年前後に都に戻っている。そして、参議(閣僚)となり、天平12年に九州で藤原廣嗣(ひろつぐ)の乱が勃発(ぼっぱつ)すると大将軍として九州に出動するなどの足跡を残し、従三位にまでのぼったが、天平14(742)年に亡くなっている。東人は主に東北地方で活動した奈良時代前半の代表的な武人であった。東人が基礎作りをした東北地方の支配体制が、その後の東北地方のあり方を決定したともいえるだろう。

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 【注】@律令(りつりょう)制では、将軍や大将軍は、必要がある時に任命されることになっていたから、鎮守将軍も常設の職ではなかったが、蝦夷との緊張関係が持続したために、鎮守将軍の任命も途絶えることがなく、奈良時代の中期には役所としての鎮守府の制度が成立し、平安時代初期には鎮守府は胆沢城に遷される。

 A「安積山(あさかやま)影さへ見ゆる山の井の浅き心をわが念(おも)はなくに」『万葉集』巻十六。

【写真=多賀城碑。多賀城が大野東人により創建されたことと、その年代が明記されている唯一の資料】


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