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平泉・世界遺産審査へ

 「平泉の文化遺産」は7月上旬、カナダ・ケベックでの国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界遺産委員会で、世界遺産登録の可否が決まる。「平泉」と深いかかわりを持つとされる地が県内には数多く残る。最終審査を前に、ゆかりの地の価値を探りながら、後世に伝えようとする人々の思いを紹介する。(この企画は4回続き)


@気仙地方の金山 「繁栄の源」研究続く 2008年6月23日

 気仙地方(陸前高田市、大船渡市、住田町)には金山跡が数多く残る。金山跡は県央や旧磐井郡、宮城県北などにも分布しており、平泉との関連を示す言い伝えも各地にある。

 陸前高田市の玉山金山の責任者が江戸時代に書いた文書には「藤原秀衡公の時代、光堂建設に玉山の黄金が使われた」と書かれているが、平泉滅亡後600年以上も後の文書だけに、真偽のほどは明らかでない。

 実際のところ、平泉を支えた黄金はどこで採れたのか謎のままだ。しかし、1970年代に住田町内の川底から発見された日本で3番目に大きな砂金や、気仙地方の寺に残る平泉様式の仏像は、気仙地方が有力な候補地であることをうかがわせる材料だとはいえる。

 陸前高田市では今年3月、地元関係者でつくる玉山金山遺跡活用推進協議会(上部修一会長)が設立された。既に案内地図を作製したほか、10月には市内外の関係者を集めた金山サミットを開く。

 市役所内の推進協事務局で研究を続ける地元の郷土歴史家、細谷英男さん(75)は「気仙の金が平泉に送られたことは間違いないと思う。世界遺産登録の実現を願っている」とエールを送る。

 国際記念物遺跡会議(イコモス)の延期勧告に、関係者は衝撃を受けたが、金山を見つめ直す機会にもなった。世界遺産登録運動を契機に、長い目で研究を続けていくことの大切さを実感しているといい、推進協の活動も一過性のものにはしない予定だ。

 今年5月、玉山金山ふもとの住民が裏山のがけ土を削ったところ、時代不明の採掘穴が見つかった。気仙地方では同様の穴があちこちで見つかるといい、金を探した人々の執念をうかがわせる。

 産金遺跡研究会代表を務める大船渡市大船渡町の郷土歴史家、平山憲治さん(70)は「平泉時代は砂金、または土中から金を採っていた」とし「穴跡の写真などの記録を地道に積み重ねていくことで、いつの時代か真相が明らかになる時が来る」と信じている。

 玉山金山とは 根拠は不明だが奈良時代に行基上人が発見し、玉山の金が東大寺の大仏に使われた―などの伝承が残る。現在は坑道から出る鉱泉を温めた霊泉「玉乃湯」が営業しており、建物の裏山に「千人坑跡」などの案内板が立っている。

【写真=落盤で大勢の人が亡くなったとされる玉山金山の千人坑跡。平泉の黄金文化を支えたとされる=陸前高田市竹駒町】



A紫波町の古代ハス 時を越えて「里帰り」 2008年6月24日

 「古代ハスのつぼみが出ていますよ」

 観光ボランティアしゃ・べーるの大平セイさん(66)の案内に、ツアー客の表情が輝く。奥州藤原氏一族の樋爪氏が構えた樋爪館の一部とされる紫波町南日詰の五郎沼。平泉文化と紫波町の歴史的つながりを伝える史跡として再び注目を集めている。

 毎年初夏に咲き誇る古代ハスは、2002年に中尊寺から株分けされたものだ。藤原4代泰衡の首おけから見つかった種を現代技術で再生。12世紀当時、樋爪館周辺にハスが群生していたとの伝承があり、地元住民の要望を受け「ハスの里帰り」が実現した。

 古代ハスを守る会の藤原恒久会長(84)は「当時の中尊寺の千田孝信貫首が歴史をひもとき、株分けに尽力してくれた。土が合うのか、花の数は年々増えており、今年も期待できそうだ」と開花を待ち望む。

 この地で首おけに種が入れられたのを裏付けるかのように、同町宮手の陣ケ岡歴史公園東側には、泰衡の首を洗ったと伝わる「首洗いの井戸」がある。

 歴史書「吾妻鏡」によると、1189(文治5)年秋に源頼朝が平泉を制圧した後、泰衡追討のため陣ケ岡に軍勢の陣を張った。逃亡途中で泰衡は家臣の裏切りにより殺害。陣ケ岡に首が届けられ、頼朝が勝利と東国支配を宣言したとされる。

 歴史の重要舞台となった陣ケ岡は、今は地元住民らが遊歩道を整備し、2400株のアジサイを植栽。夏場は鮮やかな花々で彩られる。陣ケ岡愛護会の須川勘十郎会長(84)は「まず住民が地元の歴史を知ることが大事。公園を守る後継者に育ってほしい」と願う。

 紫波町では平泉文化の世界遺産登録を見据え、歴史をPRし観光振興につなげようと民間人らが平泉関連史跡連携協議会を組織。史跡巡りツアーが今月スタートしたばかりだ。

 「世界遺産効果」を各地に波及させたい県も同協議会の取り組みを歓迎。盛岡地方振興局の伊藤昇太郎企画総務部長は「民間主導の活動は他地域のモデルになる」とし、運営費の支援など検討する考えを示している。

 樋爪館 藤原清衡の孫にあたる樋爪俊衡・季衡兄弟の居館で、地域で産出する豊富な金を支配するため置かれたとされる。現在の赤石小に位置し、1189年に源頼朝が奥州を制圧した際に焼失。館跡南側の五郎沼は、五郎季衡が泳いだ伝承が名前の由来。

【写真=史跡巡りツアーで五郎沼を散策する参加者。古代ハスの咲く季節がもうすぐやってくる=紫波町南日詰】



B一関市「やむなし」費用負担 ゆかりの文化を継承 2008年6月25日

 平泉町の東方にそびえる束稲山(596メートル)。その東側に広がる東磐井地方は金や鉄、馬などの物資を平泉に供給したとの言い伝えがある。東山(とうざん)和紙もその一つだ。

 東山和紙の伝統継承を目指そうと、一関市東山町田河津の紙生里(かみあがり)地区の住民らが結成したTABASINE山おこし村。体験学習を始め、地区内に「紙生里和紙発生の地」と刻んだ木製看板を立てた。

 「平泉とのかかわりを学び、紙生里という地名の意味を住民にもっと理解させたい。地道に活動を続けていくことで平泉のPRになれば」と、那須野勝久村長(34)は紙すき文化の継承に意欲を新たにする。

 「平泉文化」の世界遺産登録延期のイコモス勧告衝撃は同町にも広がった。紙すき職人の鈴木俊彦さん(74)は「外国人の観光客が増加する中で、歴史や思想を分かりやすく伝える工夫が欠けていた。遺産登録延期で再認識した」と和紙文化のPRに工夫を凝らす。

 同町には藤原秀衡が元朝に清水を里人にくませ、手送りで平泉の柳之御所に運んだという言い伝えも残る。この故事にならい、地域住民らが1993年、800年ぶりに磐井清水若水送りとして復活させた。町内外から多数が参加し、元日の平安絵巻を再現している。

 午前2時、同町松川地区の磐井清水を出発。中尊寺までの約20キロを、若水をくんだおけを一度も地面につけることなく担ぎ通し、約5時間かけて歩く。

 若水送り実行委事務局長を務める佐藤育郎さん(60)は今年、いわて東山歴史文化振興会を発足させた。同会会長も務め、地域の史跡、遺物を学ぼうと現地学習会などを企画する。

 佐藤さんは「平泉の歴史をぬきに中世の東北地方の歴史は語れない」と力を込める。「東北地方の住民は平泉の建築工芸の素晴らしさと平和思想をもっと学ぶべき。遺産登録の可否にかかわらず、一人一人が理解を深めることが最大の財産になる」と、顕彰活動の盛り上がりを願う。

 東山和紙 一関市東山町田河津の紙生里地区の発祥とされる。同市東山町は奥州藤原氏の時代、写経などに大量に必要とされた和紙を供給した産地の一つと分析する専門家もいる。江戸から昭和初期にかけ冬季の副業として栄えたが、洋紙の普及などで衰退し、現在の紙すき職人は3人となった。

【写真=東山和紙を手にする観光客。奥州藤原氏の時代、平泉に供給されたと言い伝えられる=一関市東山町の紙すき館】



C伝統の浄法寺漆 岩手の宝発信に期待 2008年6月26日

 「朝日差し 夕日輝く 木のもとに 漆万盃 黄金億億」

 平泉町の金鶏山に伝わる詠み人知らずの歌の中で、平泉文化を象徴する「黄金」に並び、「漆」がいかに大切な存在だったかが示されている。

 平泉郷土館長を務める大矢邦宣盛岡大教授は「木の文化といえる仏教美術において、漆は切っても切れない関係。特に平安時代後半は全国的に寺院建築がブームを迎え、相当量が必要とされたのではないか」と指摘する。

 「平安の漆工芸の最高傑作」とも称される中尊寺金色堂は、建物全体に漆を活用。金箔(きんぱく)を張るためだけでなく、内陣全面に施された螺鈿(らでん)の接着や蒔絵(まきえ)の技法にも、塗膜の美しさに加え接着力の強さ、堅牢(けんろう)さなどの特性を持つ漆が不可欠だった。

 1000年以上もの時を超えて受け継がれる日本の伝統美について、東京の漆芸作家室瀬和美さん(57)は「他の塗料では出せない漆の黒色、金や貝とのハーモニーは、世界を魅了してきた。例えば『Makie』という言葉はそのまま外国人にも通じる」と魅力を語る。

 当時使われたかは不明だが、現在では生産量日本一として知られる二戸市の「浄法寺漆」は、四十数年前の金色堂修復の際、100キロ余りが活用された。

 日本では戦後の高度成長期以降、石油化学製品が日用品の主流となったのに加え、安価な輸入漆が増加。同市浄法寺町にかつて300人以上もいた漆掻(か)き職人は今では二十数人まで減少した。高齢化も進み、伝統継承が危ぶまれる状況だ。

 しかし、最近は漆が環境に優しい素材として見直されつつある。浄法寺漆も日光東照宮などの修復のため大量注文があるなどし、行政も振興に力を入れ始めた。

 漆の世界発信に向け、平泉文化の世界遺産登録への期待も大きく、佐藤春雄県浄法寺漆生産組合長は「漆掻き職人にとっても誇りになる」、浄法寺の漆器展示販売所「滴生舎」の技師小田島勇さん(35)は「岩手の漆、『宝』に光が当てられるチャンスだ」と願いを込める。

 浄法寺漆 一般的に二戸市浄法寺町の漆掻き職人が、同町周辺部で採取した漆をいう。2007年度の生産量は915キロ。主成分のウルシオール含有率が、夏場に採取される「盛り漆」で70―75%と外国産に比べて高いのが特長。

(平泉文化世界遺産登録取材班)

【写真=今シーズンも始まった漆掻き作業。漆文化の継承に向けても、関係者は平泉文化の世界遺産登録の行方を注目する=一戸町】

      (終わり)


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