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<平成の30年>災害と戦争 平和の重みを確かめる


 「戦後」に対する「災後」の言葉が生まれた平成は、まさに「災害の時代」だった。災害時の二つの「振る舞い」から、時代の表情が浮かび上がってくる。

 一つは、被災者たちの振る舞いだ。

 「整然として秩序を守る」「略奪も暴動も起きない」。東日本大震災では日本人の行動が世界から称賛された。その姿は阪神大震災などでも同じだった。

 だが、それは日本人が持って生まれた性質ではない。要因を探っていくと「情報」にたどり着く。「今何が起きているか」「支援の見通しは」−。正確な情報が被災者を落ち着かせた一つだったことは間違いない。

 1923(大正12)年の関東大震災では、朝鮮人、中国人、社会主義者らに対する虐殺が起きた。情報が閉塞する中で、彼らに対する恐怖心から生まれたデマが人々を暴走させてしまった。

 平成は日本の近代で初めて平和な時代が続いている。だからこそ、正確な情報の発信もできる。明治以降の時代は常に戦争の中にあった。それがどれほど災害時の救援を妨げたか。

 太平洋戦争末期。44年の東南海地震と45年の三河地震が一例だ。犠牲者が千人、2千人に上ったのに、報道管制で詳細は国民にも隠された。戦時の困窮に加えて、支援の手が差し伸べられなかった被災者の苦しみはいかばかりだったか。

 もう一つは、被災者を見舞う天皇、皇后両陛下の振る舞いだ。

 91(平成3)年の雲仙普賢岳噴火。両陛下は避難所で初めて膝を突き、被災者と同じ目線で励まされた。「国民とともに歩む」という姿勢の表れ。その後の災害でも変わらない。

 そのまなざしは、戦争の犠牲者にも向けられてきた。各地の激戦地を訪問する「慰霊の旅」は高齢を押して続けられた。昨年のベトナム訪問は12月の誕生日に当たっての会見でも言及された。

 「今上天皇は平成という帽子をかぶり、平成という背広を着ている。だが、その心は常に昭和を見つめてきた」。ノンフィクション作家の保阪正康さんは、天皇の「昭和の清算」をこう表現する。

 世界の各地で、きな臭さが増している。時計の針を再び暗い時代に戻さないために、日本人の中を流れる歴史を見つめ直したい。

 天皇の退位が2019年4月30日と決まり、一つの時代が終わろうとしている。平成とはどんな時代だったのか。次の時代に何を引き継ぐべきか。それを自問することで、平成の締めくくり方も見えてくるはずだ。

(村井康典)

(2018.1.1)

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