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第3部 見過ごされる名前・特集

個人で捜す限界実感

 宮古の武藤さん

2017年3月7日

 「自分たちにできることは限られていた」

 宮古市上鼻2丁目の会社員武藤富士子さん(55)は、東日本大震災の津波で山田町船越の実家に暮らす父前川吉男さん=当時(77)=が行方不明となった。「氏名が公表されれば、父のことを知っている人が情報をくれたかもしれない」と、手掛かりを求めた被災当初を振り返る。

 あの日、県外にいた時に津波が起き、山田町に入れたのは2日後だった。大沢地区の自宅は流失しており、同居する次女日和さん=同(16)、義母静代さん=同(76)、義理の弟幸正さん=同(43)=も避難する途中で津波にのまれた。実家近くの吉男さんの弟、前川渉さん=同(70)=も犠牲になっていた。

 避難生活を送りながら、家族を弔った。さらに父の手掛かりを探し、町内外の遺体安置所を回り、犠牲者の写真を確認した。「しまいには、みんな同じように見えてきた」

 心身とも疲労困憊(こんぱい)の中、混乱もしていたが、名前が公表されない「匿名化」は、安否情報が分からなくなると実感した。「正確な判断はできなかったかもしれない。でも早く見つけたいという気持ちは大きかった」と訴える。

 行方不明者の名前が明らかにならず、人数だけが公表された東日本大震災。「存在がなかったかのような扱いをされている気がする。父は確かに生きていたんです」。そう強調する。

【写真=「自分たちで動くことには本当に限界を感じた」と父を捜索した被災当初を振り返る武藤富士子さん=宮古市上鼻】



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