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第5部 氏名公表の壁 Dメディアの信頼

伝える姿勢、いま一度
2017年5月13日

 「次から次と『話を聞かせてほしい』と記者が来た。そんな心境ではなかったのに…」

 2016年4月の熊本地震で最大震度7を観測した熊本県益城(ましき)町。

 自宅が全壊し、夫の千秋さん=当時(68)=が犠牲となった城本(しろもと)ぬい子さん(63)は被災当初、メディアスクラム(集団的過熱取材)にさらされた。

 町内の建物倒壊などによる「直接死」は20人に上り、遺族に新聞やテレビが集中した。初めて聞く社名の記者が、タクシーで乗り付けて取材を申し込む。断っても周囲から話を聞いたのか、千秋さんの顔写真と人となりが掲載された。

 「誰から手に入れたのだろう」。不信と疲労が募った。

 定年後に農業を本格的に始めた千秋さんは「80歳まで頑張る」と笑っていた。被災から1年。もう言葉を交わすことはできない。ぬい子さんは「本音で話せる人を失った遺族の心境は、避難者とは違う」と配慮を求める。

 益城町は4月17日のピーク時、10カ所の避難所に約1万6千人が身を寄せた。自宅を失い、余震の不安におびえる被災者への取材も過熱した。ルールを破って避難所内で撮影するケースもあり、「思い出したくないのに地震のことを聞かれて苦痛だ」と町役場に苦情が殺到した。

 当時、1人で報道対応をした危機管理課の岩本武継(たけつぐ)危機管理係長は「遺族や被災者に対する配慮に欠けていた。こちらから強く言うことはできず、メディアのモラルに頼るしかない」と嘆息する。

 メディア側も問題を放置していたわけではない。日本新聞協会は01年にメディアスクラムへの対応策をまとめた。東日本大震災では被災1週間後に本県の報道機関22社でつくる報道責任者会議が、被災者や遺族に対する節度ある取材を申し合わせ、関係機関に要請している。

 だが、災害のたびに「絵になる」などとして、被害の大きい地域や遺族に取材が集中する傾向は続く。

 岩手日報社が東京都、神戸市、高知県の3地区で実施した住民調査では、災害時の氏名公表の懸念にメディアスクラムと答える人が一定数を占めた。特に1995年の阪神大震災を経験した神戸市では32%に上った。

 阪神大震災当時、記者として取材活動に当たった神戸学院大現代社会学部の安富信教授(災害情報)は、上空を飛ぶ取材ヘリが捜索活動を邪魔したり、取材禁止となった避難所が出たことを記憶している。

 「不慣れな記者が心ない言葉をかけたり、的外れな質問をする。結果的に被災者を傷付け、新潟県中越地震(04年)などから避難所の取材はお断りという対応が定番化した。メディアは自分で自分の首を絞めている」と指摘する。

 3地区の住民調査では、大多数が避難者や行方不明者の名前を公表するべきだとの認識を示したが、メディアスクラムが足かせとなる懸念もある。安富教授は「伝える姿勢によって、オープンにするべき情報が閉ざされることだってあり得る」と警鐘を鳴らす。

 メディア不信がある中では、氏名公表の壁は高くなるばかりだ。いま一度、自らの取材姿勢を省みる必要がある。

(第5部終わり)

【写真堰#災当時を振り返る城本ぬい子さん。「何度も同じ話を繰り返すことは本当につらかった」と取材に大きな負担を感じた=熊本県益城町】

【写真=熊本地震で避難所となり館内の写真撮影が制限された益城町保健福祉センター=2016年7月、熊本県(熊本日日新聞社提供】



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